1.あの日からもうすぐ9年
あれから9年の時が刻まれた。皆様はどの様な想いでこの日を迎え、どの様に過ごされただろうか。
3月11日。誰しもが忘れることのできない、そして今後も決して忘れてはならない日が巡ってきた。
死者・行方不明者およそ2万人、避難者は35万人にも及んだ(2012年3月11日現在、警察庁・復興庁発表)。
大きな揺れの後、沿岸部を襲った津波。続く停電、火災、社会的インフラの機能停止。
その後も原発被害に対する遅れた対応や不透明さ、拡散の恐怖と闘う日々──。
自然に対する人間の無力さや個人での力不足を改めて味わう毎日であった。
一方、全国から参加したボランティアの数は累計94万人を超えるという(※参照:「災害ボランティアセンターで受け付けた活動者」・全社協 被災地支援・災害ボランティア情報より)。
“頑張ろう東北!頑張ろう日本!”の合言葉での復興活動。
助け合い、絆を深め、一体(チーム)となった人間の強さや素晴らしさもそれ以上に実感した9年であったように想う。
2.被災地に自転車で向かい目にした光景
当時を振り返ると、海外の方をはじめとして日本を脱出する人も大勢いた。
しかし私自身は、歴史に残るこの瞬間に“生きた証し”として、是が非でも現地の今をこの目、この耳、この鼻と、五感を通じて感じたかった。
被災地に住むお客様の状態も気がかりであった。
そして、わずかでもいい、何かお役に立ちたいと願っていたのである。
福島第一原発は、自宅のある東京・西東京市から直線距離で約230km。
年度始まり前後である4月の仕事の折り合いを何とかつけ、まずはお客様の情況を確認しよう、そして、何かお手伝いは出来ないか・・・と想いを巡らせ、被災地に向け自転車を走らせたのだ。
現地は、「時が解決する・・・」「時間が経てば・・・」という言葉が全く無意味に感じる位、とてつもない状況であった。
その場に立ち尽くすしかできなかったことが昨日のことのように脳裏に浮かんでくる。
その後は、“今、自分に何ができるか”という言葉を常にこころに投げ掛け続けた。
そして私は、少しでも多くの人に、現地を見てボランティアをさせて頂いた中で感じたことを伝えるということで、取り組みを続けてきた様に想う。
被災地(福島)にて
3.坂本龍馬の教えに想いを巡らせる
そして、その1年後。
私は、日本が列強の支配下に堕ち、隣国の清の如く実質植民地化されかねない状態の中、国としての崩壊の危機を救ったあの坂本龍馬が眠る京都・東山の地を訪れたのである。
諸外国の脅威もさることながら、開国と攘夷、長州と薩摩等々からあふれ出る国難に対して、独自の思想と行動力から命を顧みず突き進んだ龍馬。
船中八策を表し大政奉還を実現するも、そのわずか一ヶ月後、33歳の誕生日に暗殺された龍馬。
彼が現代に生きていたら、何を想いどの様な策を表すだろうか。──私はその姿を前にただただ想いを巡らせたのである。
坂本龍馬と中岡慎太郎のお墓(左奥)と銅像 <京都市東山霊山>
4.時間は有限、想いは無限
この京都からの帰り道、ふとこころに蘇ってきた言葉があった。それは、“宇宙に一撃を与えたい(I want to put a ding in the universe.)”という言葉。そう、コンピューターという“機械(モノ)”に躍動感あふれる命を吹き込み、音楽や映像を変え、世界中に数多くの喜びを創造したスティーブ・ジョブズ。彼の遺した私の大好きな言葉である。
──幸せで豊かな未来に想いをはせ、今を妥協なく生きた、龍馬とジョブズ。
限りある人生で何を実現するのか、周りに何で覚えられたいと願っているのか・・・。
社会と自分の繋がり(“何”で社会に貢献するのか)というものと、自分自身の八策の原点(何があるからその貢献をしたいか、いかに貢献するのか)を見つめ直す素晴らしい3.11となった。
たかが80年、されど80年(龍馬は33年、ジョブズは56年間しかなかったが)。
時間は有限かもしれないが、想いは無限に広がるのだ(時間は有限、想いは無限!)。
あなたご自身は何を感じ、何に取り組んでおられますか?
5.生きる力になる言葉
- 「自然に対する人の無力さや個人での力不足」
- 「助け合い、絆を深め、一体(チーム)となった人間の強さや素晴らしさ」
- 「宇宙に一撃を与えたい(I want to put a ding in the universe.)」
- 「幸せで豊かな未来に想いをはせ、今を妥協なく生きる」
- 「時間は有限、想いは無限!」
6.水野からの問いかけ
- あなたはこの一年で何が変わり、これからの一年で何を深めていかれますか? あなたは〝何〟で社会に貢献しようと想われますか? あなたは何があるからその貢献をしたいのでしょうか、又、いかに貢献していかれるのでしょうか?
(2020年3月10日リライト)