脱常識・脱思い込み「雪が溶けると何になる?」~答えはひとつではないという気づき~

事例体験から学びたい!

脱常識・脱思い込み「雪が溶けると何になる?」~答えはひとつではないという気づき~

2020年6月26日

まず、ひとつ質問させてください。

水野秀則
水野秀則
雪がとけると「 」になる

「 」の中に漢字1文字を入れて文章を完成させてください。

どんな漢字が浮かびましたか?

同じ質問を、当時、二十代で生意気ざかりだった私は、

営業の訪問先で出会った、ある女性リーダーから問いかけを受けました。

“脱”常識・“脱”思い込み

ある女性リーダーからの問いかけ

営業の訪問先で出会って、

私に問いかけをしてきたそのリーダーは、

女性であり、

まだまだ、ビジネスの右も左もわからない私に、

“指導”することなく、

大きな気づきをもたらしました。

今、振り返れば、

その答えは当たり前のことかもしれませんが、

当時の私にはまったく見えておらず、

赤面するような恥ずかしさとともに、

強烈な意欲が湧き上がってきたのを思い出します。

雪がとけると「 」になる

水野社長-似顔絵-雪がとけるとまるになるs

その時の問いかけです。

雪がとけると「 」になる。

この「 」の中に、漢字一文字という前提であれば、

どのような漢字が入るか?

というものでした。

私は、

水野秀則
水野秀則
当たり前のことを答えればいいのですよね?

と前置きをしながら、

大きな声で、

水野秀則
水野秀則
「水」

と答えました。

すると、女性リーダーは笑顔でこう話されたのです

「私は、『春』になると思うのよ」と。

もう、かれこれ30年近く前のことですが、

その時の衝撃は未だに忘れられません。

いかに私が理屈や理性でしか考えていないか、

感性を大切に育んでこなかったのかを、

いやというほど実感した場面だったのです。

まとめると、このときに、

  • 自分の常識は、他人の非常識
  • 理性だけで、感性が育まれていない

…等々に気づいたのです。

しかし、これだけの話であれば、

今や当たり前なのかもしれません。

学校教育においても、小学生がこのような問いかけに対して、

「春」と答えても×をもらった話があったように思います。

教育の画一性が問題視されるときに例によく使われているのかもしれません。

お伝えしたいのは、さらにここからです。

答えは一つではない

この出来事以来、いろいろな方にこの問いかけを当時よくぶつけました。

返ってきた答えには「川」「緑」「雲」など、

イメージができるものもありましたが、

まったく私が思いもよらなかった回答をもらったことも多くあります。

例えば、

福島で講演したときには、

受講生
受講生
雪がとけると「楽」になる

という回答がありました。

雪下ろしをせずにすむので楽になるというのです。

踏ん張って歩かなくてもいいし…。

長野では、

受講生
受講生
雪が溶けると「暇」になる

民宿・ペンションなどを営む者にとっては、

お客様が来なくなるので、切実です。

これが「私の心の底から出てくる言葉です」と話してくれました。

北海道では、

受講生
受講生
雪がとけると「夏」になる

北海道では、春はまだ雪がたくさんあるので、

「雪解けのイメージは夏だね」と言われたのです。

実にさまざまです。

この出来事から実感したことは、

  • 人それぞれ前提(常識)が違う
  • 答えは一つではない
  • 気づいたことは、決して忘れない※
  • 教えられる(説教される)と聞かない人間でも、問いかけなら深く考え、身につく

※知識は時間とともに忘れてしまうが、感情やイメージを伴った記憶(実感・体感)は忘れない

というものだったのです。

コンサルタントの在り方

当時、大手の経営コンサルティング会社に勤めていた私は、

自分には思い込みがいかにたくさんあるのかをまざまざと実感しました。

ここで述べるのも、そのような体験の話です。

まだ、右も左もわからない駆け出しの私が、

クライアントから絶大な信頼を得ていた先輩方を見て、

間接体験して感じたことや自分自身が現場に立ってみて見えるようになったことの話です。

それは、コンサルタントとしての正しい在り方(立ち位置)ということです。

今でこそ、コンサルティング会社がよく使うソリューション(解決)という便利な言葉がありますが、

当時はそういったものは耳にしませんでした。

当時の私は、学校の先生が生徒を教えるように、

コンサルタントもノウハウを知らない人に指導するのが仕事だと思っていました。

今から思うと大変恥ずかしいことですが、

私の失敗体験はあなたの役に立てるのでご紹介します。

「指導」ではなく「協力」

私が駆け出しの頃、勝手にイメージしていたのは、

経営コンサルティングの本質は「経営を指導すること」というものでした。

指導をするのがコンサルであり、先方もそれを求めていると勝手に思い込んでいたのです。

しかし、いざ蓋を開けてみると、

上から目線で「教えてあげているんだ」という感じの人は、

途中で挫折していきました。

みんな、あくまでも、

お客さまである企業の繁栄や、

そこに集う社員の方々の支援をする、

という視点で仕事をしていたのです。

事実、私が勤めたコンサルティング会社の部門名でも、

「経営協力部」という名称が高らかに掲げられていました。

もちろん「経営指導部」ではありませんでした。

また、お客さまと交わす契約書の文面でも、

経営指導料ではなく経営協力援助料となっていたのです。

この出来事で、

  1. 指導ではなく協力であり、育成・援助という視点が大切なこと
  2. 技術・ノウハウを指導する前に、その人の立ち位置が大切であること(どのような関わり方をするのか)
  3. 自分本位ではなく、相手本位が大切なこと(上から目線では、人はついてこない)
  4. 勝手な思い込みや決めつけは、効果的ではないこと
  5. 「取り引き」でなく、「取り組み」が大切なこと

顧客とコンサルタント、教える側と教わる側、上司と部下といったものが対立概念ではないことを実感したのです。

上司の仕事

学生時代に外国語学部に所属していた私は、

わずか一年半で海外転勤の候補として名前があがりました。

しかし、その赴任先というのは専攻していた英語圏ではなく、

中国語圏の中華民国台湾だったため、私は躊躇していました。

それは、言葉の壁というよりは、私自身の意識の壁でした。

当時、私の気持ちは「まだ新人だから」「やったことがないから」

という言い訳であふれていました。

「コンサルができない」「自社の実態を知らない」「台湾を知らない」と、

三重苦を盾に転勤に抗戦していたのかもしれません。

そんな若さや青さが残る私の話を、

親身になって聴いてくれたのが、

当時の私の上司でした。

部下の声に耳を傾け、問いかける

日頃から感じていたことでもありましたが、

上司というものに対して持っていた学生時代やテレビからの影響で膨らんでいたイメージが変わったのは、

この上司のおかげでした。

それまでのイメージでは、リーダーや先輩(上司)というのは、

威張っていて強制的に部下を従わせるというひどいものだったのですが、

それを完全に拭い去ってくれたのです。

具体的には、

  • 「台湾赴任について今どのように感じているか」
  • 「現地に赴くことで不安に思っていることは何か」
  • 「水野君の人生から見て、今回の海外駐在はどういうメリット・デメリットがあるだろうか」

などといった問いかけの中から、当時の私の本当の思いを引き出してくれたのです。

もちろん、「水野をなんとか台湾に行かせよう」という押し付けや説得しようとする姿勢はまったくありませんでした。

ちょうどイソップ童話の『北風と太陽』だといえば、わかりやすいでしょう。

この上司は太陽タイプでした。

もちろん、太陽・北風双方に良さはあり、

北風を否定するものではありません。

この上司との対話の中で、台湾という未知の国での仕事への不安と、

そこでコンサルの知識・ノウハウが深められるかどうか、

などという短期的なものしか見えていない自分を発見したのです。

そこでようやく、「今回の転勤は、小手先のテクニックの習得がはかられているかどうかではなく、人間そのものの幅を広げるまたとないチャンスだ」

ということに気づかせてもらい、赴任を決めたのです。

この出来事で、以下のことを確認しました。

  1. 上司は、聴くことが大切(100回の心ない部下への説得より、1回の心からの部下への傾聴)
  2. 操作しようとする上司の言葉は、部下は心の底では何も聞いていない
  3. 北風と太陽、どちらも素晴らしいが両方使えれば便利(私が必要としていたのは太陽型の導きであり、どうすれば部下の意識が高まるかが実感できた)

日本の常識は、世界から見るとどう映るのか

“脱”指導を考える時、異国の地で大きな気づきを得た時のことを思い出します。

私は社会人になって一年半たった時、先ほども伝えたように海外駐在のため日本を離れました。

そして台湾という別世界で数々の体験を重ね、様々なことを感じ取る機会を得ました。

なかでも特に

  • 「日本の常識は、世界の非常識」
  • 「世界の常識は、日本の非常識」

と感じた出来事が強烈な印象として蘇ってきます。

日本と台湾で体験した大きな違い

例えば、日本で講演会や研修会を実施した時、最後に「何かご質問はございますか?」と聞く場面があります。

しかし、積極的に手を挙げ質問をする方が少ないことがほとんどです。

質問が出ないために司会者が困り、強制的に誰かを指名して場をもたすということもあります。

一方、台湾で私が経験したのは、日本とはまったく違う場面です。

講師として話をしている最中ですら、手が挙がって「質問いいですか」という体験を数多くしました。

同じ目や皮膚・髪の色をしていても、「こんなに違うのか!」という驚きを、当時強く感じたのです。

ほとんど躊躇なく手が挙がる、積極的に質問をする貪欲さを持っているなど、

日本の研修会に慣れた私にはとても新鮮に映ったのです。

それ以降、「この違いは何から生まれているのか?」

「前提となる何かが違うからか?」と自問する日が続きました。

仮説→検証というサイクルを繰り返す中で、いろいろな思いが出てきました。

3つの仮説

  • 日本人は恥の文化
  • 農耕民族と狩猟民族の違い
  • 日本の教育の特色

まず最初に出た仮説は、「日本人は恥の文化」であるというものでした。

周りの目を常に意識するあまり、手が挙がらない。

色々なものを気にし、石橋を叩きすぎてしまう。

それがために、躊躇するという構図ではないかという仮説です。

恥をかくこと、加えて恥をかかすことを極度に嫌う文化が前提にあるように感じたのです。

次に出てきた仮説は、「農耕民族と狩猟民族の違い」ではないかというものでした。

日本人は、世界的に見れば和や協調性を大切にしています。

そこから「目立ってはいけない」「まわりと同じでなくてはいけない」など、

こういった意識が気づかないうちに抑止力として働いているのではないかというものです。

三つ目の仮説は、日本の教育の特色が色濃く反映されているためではないかというものです。

我々、日本人が日本の教育スタイルから知らず知らずのうちに身につけてしまっているものが確かにあるという思いが高まってきました。

答えは一つではない

その日本の教育の特色として感じるのは、「答えは一つ」というものです。

具体的にいえば、日本では「1+2=?」というスタイルに慣らされているということです。

一方、海外では、「3=?+?」というスタイルです。

「2+1」もあれば、「1.6+1.4」、「5/2+1/2」もあります。そうです。

小数点もあれば、分数もあります。足し算ということも絶対の前提ではありません。

引き算・掛け算・割り算でも式は完成し、様々な可能性が広がっていきます。

日本人には「答えは一つ」であるという呪縛があるので、

唯一の正しい答えを探そうとやっきになる。

そして、正解から外れることや失敗してしまうことを良しとしない側面があり、

手が挙がらない、自分の意見が言えないという状況に陥りがちです。

それが、無意識のうちに日本人の心の深層に広がっているように感じます。

海外では「変わっているね」「個性的だね」は褒め言葉ですが、

日本人では褒め言葉と受け取られないときもあります。

日本人は「答えは一つ」という呪縛にはまっているのではという仮説の上に、

職場での上司と部下の関係を見た場合、気づかないうちに部下の自主性・自発性が阻害されてしまっているように感じます。

柔軟な発想や革新が生み出される背景には、違いを受け止める度量、さらには違いを歓迎・賞賛する土壌も必要なのかもしれません。

人は押し付けを嫌いますが、真の躾(自分の身を美しくするもの)は心地よく感じるように思います。

この出来事で、以下のことを確認したのです。

  • 日本人の常識は、世界の非常識(自分の常識は、周りの人の非常識)
  • 人によって、前提が意外と違う
  • 「答えは一つ」という呪縛に、知らず知らずのうちにとらわれている

「大変」の読み方

私が前職で課長代理という役職をはじめてもらったときのことです。

当時お世話になっていたある会社の経営者のところにうかがいました。

自分の業績やコントロールもままならないのに、

これからリーダーとしてやっていけるのかという不安や大変さを抱えたままの訪問でした。

その経営者は私の心を見透かすように、

「水野君、今日はいつもの元気な水野君ではなくて、大変そうやな~」

と言ったのです。

そこで、一つの問いかけをいただきました。

「大変」という字は、普通に書くと文字通り大変だけど、

「大〇〇 変〇〇」

というふうに、ひらがな二文字をそれぞれにつけて読むとどう読めるか?

水野秀則
水野秀則
う~ん、そうですね…

そう、うなっていた時に、ふと気づきました。

水野秀則
水野秀則
「大きく 変わる」

と読めるのだと。

これは実感として、私の心に響きました。

もちろん、今でも昨日のことのように思い出されます。

この出来事から、

  • 人を元気にする魅力的なリーダーは、問いかけを多用する
  • 成果を出している人は、ものの見方・考え方・とらえ方がまったく異なる
  • 改善強化というより、革新創出(思い込みを打破する)

ということを実感したのです。

まとめ

ここまでに、大きく五つの体験をお話ししましたが、

素晴らしい方々のおかげで、今の私があることを改めて深く実感しました。

そして、私が深く学んだり大きく成長したと感じるときには、

高圧的であったり、指示・命令的ないわゆる「指導」というものから程遠いものがあったのです。

そして、自分の内側で「気づき」というスイッチが入ったとき、

貴重な学びと自己成長が実現したという感覚がありました。

水野秀則
水野秀則
「実感なくして実行なし」

ということを、しみじみと感じた数々の体験でした。

あなたにとって、学びや自己成長に大きくつながったと思える出来事があったとき、

そこには、どのような方の、どのような関りがありましたか?

水野秀則
水野秀則
ありがとうございました

    この記事はご満足いただけましたか?

    メールアドレス(任意)

    ご意見・ご要望(任意)

    プライバシーポリシーに同意の上でお申込みください

    -事例体験から学びたい!

    PAGE TOP