こんな出来事が!
「脚が、脚が、動かない・・・」
前日は埼玉のA社の経営方針発表会で、色々な人と語りあいそして元気に動きまわっていたというのに。
1998年の10月も下旬近く、弱い北風が吹き始めた朝、自分のこころは凍て付くような寒さを感じた突然の発病の瞬間だ。
原因不明の脊髄の病気で一夜にして、両脚が動かないどころか腰から下が叩いてもつねってもまったく感じない状態に突き落とされてしまったのである。
この瞬間に自分のコンサルタントとして抱いていた大きな夢も、好きだったがしばらく遠ざかっていたダイビングで潜ることも、家族四人での第二の故郷台湾への海外旅行の計画も一瞬にして消え去っていた。
最初は「ただ信じられない」気持ちだったのが、「どうして自分が・・・」という何ともいえない想いに変わるのに、そう時間はかからなかった。
私の想い
誰でも人間として当然知っているけれど、自分の人生で実感がないことは多い。
人生八十年・・・これは平均であって、誰にも当てはまるものではない!という当たり前のことがその瞬間ようやく腹に落ちた。
いくらやりたいことがあっても、人生に病気や事故・死は歴然と数多く存在する。
「生(せい)」という土台がしっかりしてこそ、仕事や家族や趣味といった建物を建てることができる。
自分の努力で勝ち得たものは大事にする。
しかし最初からあったものはあまりにも当たり前過ぎて大事にしないということはなかったか。
そこで、私のこころに湧き上がった想いは、「人生は有限、ロマンは無限」であった。
日々への影響
習慣とは恐ろしいものである。
私は知らず知らずのうちに仕事中心の生活になり、やがてほとんど仕事だけの生活に変化していく中で、ある錯覚に陥っていた。
仕事で結果を出せば、人生は幸せに向かってきっと大きく前進するのではと。
こうして当初は手段であったはずの仕事が、いつのまにか目的にすり替わってしまっていた。
大病を通じて、仕事は人生の部分であって決して人生のすべてではない、ということに気付くきっかけを得た。
そこで、私の人生観は大きく変わった。
つまり、人生にとって仕事で結果を出すことは極めて有意義かもしれない。
しかし、それと同時に人生で自分が成し遂げたいのはそれだけではないことに実感をもって気付いたのである。
これまで想ってきた以上に人生が短く映ってきた。
「注意の一日は不注意の十日に勝る」
注意した時間の足し算の差が、「人生の成果の差となって現われてくるのではないだろうか」との想いが私の心の中で次第に高まっていった。
志(仕)事での実践
「期限付き」の持つ意味は、人生もビジネスにおいてもまったく同じである。
私は大病をきっかけにして毎日の色々な出来事でより「いつまでに」を意識することが、人生の期限を意識していることに近づくのでないかと感じるようになった。
明日があると思うと意識は甘くなり業務はいつまでもが片付かないものだ。
そこで、お客様や上司、家族や友人との期限はもちろんのこと、自分自身の心の中で自分に期限をつけることをさらに習慣にしてはどうだろうか。
今年一年でこれをやる!
今月はこれをやる!
今週はこれをやる!
今日中にこれをやり切る!
「いつまでに・何を」を人に宣言することが、必ず集中力と確かな実行を生み、そしてその後の自らの確認が前進と成果を生む。
保管がきかないのが時間。
人の時間を奪わないことはもちろんのこと、自分が自分自身の時間を奪っていないか。
さらにはどんな場面が「不注意時間」(ただなんとなくの時間)になっているかを考える。
休息は休息という目的をもった注意時間である。
「仕事は急がず、間を急ぐ」
あなたご自身は何を感じ、どう進めておられますか?
毎日の言葉
- 「ロマンは無限、人生は有限」
- 「知識や理解よりも、実感をもつこと」
- 「注意の一日は不注意の十日に勝る」
- 「毎日のいつまでに!が人生の集中を創る」
- 「人に宣言することが集中力と確かな実行を生み、自らの確認が前進と成果を生む」
- 「仕事は急がず、間を急ぐ」
- 健康という土台を維持・向上させるために、常日頃何に具体的に取り組んでおられますか。
- 注意を持続(注意時間を増やすことを)するために何をどのようにやっておられますか。
(不注意時間は何がどれ位あり、それをどうされますか)
(2019年9月12日リライト)