商売って面白いですね!
人生と事業が大きく動く前の状況
香港が返還になった1997年、私は35歳で先代からバトンを引継ぎ経営者となりました(肉の加工・販売事業)。
代表印を譲り受け、それを手にした瞬間―その重み、そのすごみを、今でもよく覚えています。
当時、「若い社長・・・」とよく言われましたが、生来の「なにくそっ!」という負けん気を支えに、業務に邁進していったのです。
そんな中、就任3年後の2000年9月10日に、日本で初めてのBSE(狂牛病)が発生したのです。たちまち、売り上げは大幅ダウン、窮地に追いこまれました。
経営者・リーダーとして、こころにしみたあの言葉
そんな中、ある経営者仲間から、「自分で売ってみたらどうですか?」と提案をもらったのです。
この一言で、先代から引き継いだ既存客に依存していた自分と自社が浮かび上がりました。
こうして「売らんと売れん(売らないと売れない)!」当たり前のことに改めて気が付いた訳です。
月に新規訪問100件達成をスローガンに取り組む中、お客様が増え、何より若手を中心に人が確実に育っていきました。
当時を振り返り逆説的ですが、あのBSEがあったからそれをバネに、今のわが社があると断言できます。
人生・事業で何がシフト(転換)したか
親父の会社に入った頃、大学の後輩の経営者から、しみじみと「商売って面白いですね!」と聴き、自分との違いを感じたことを想い起こします。
正直、その時の自分には「面白い」というのがピンときていなかったのです。
ただ、今は、飲食店開拓に大きく打って出た思い切った展開を振り返り、「どなたにお会いしても、商売って、めちゃくちゃ楽しくて、ホント面白いですね」と実感をもって話すことができます。
自己紹介でよく自分のことを評して「スーパーボンボン」と話す廣岡社長。
自分の後継者としての弱さ・甘さを笑いとばせる―そこにこそ廣岡社長の真の強さと自信が秘められているのは間違いがない。
二世としての自分を、箱根の駅伝競争になぞらえ、エース区間での戦い(花の2区)で、襷(たすき)を次につなぐのはもちろん、区間新を狙うと自分をいつも鼓舞され、事業と人生を楽しんでおられます。
「楽しむ!」―― 継承や業績基盤構築を確かなものにするために、
- ピンチは体質転換のチャンス
- 真に守るために攻める
- 自己へチャレンジする
これらがいかに大切であることかを実感する素晴らしいご体験談であった。
(2020年3月19日リライト)※記事内の役職は当時のものです。