100年以上の歴史を有する奈良県の老舗酒蔵、梅乃宿酒造。
今回は、吉田 暁 社長(当時)にお話しを伺った。
“とっぱもん(突破者)”たれ!
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幼少期から青年時代
私が生まれたのは、団塊世代のピークでした。
小中学校では生徒数もクラス数もとても多かったことを覚えています。
加えて、育った家は男ばかりの三人兄弟。
長男でなかった私は親から「将来は養子にいくんやで(いくのですよ)!」と、
ものごころが付いた頃から聞かされていたような記憶があります。
この様な中、大きな転機が訪れました。
高校2年の時に、親父が亡くなったのです。
それまで、こころ広く私を受け止め自由にさせてくれていた父。
その存在を後ろ盾に、私はというと長男でない気楽さも手伝って、好き勝手し放題。
学校にさえあまり行っていませんでした。
天理(奈良県)の片田舎で自転車やバイク、音楽等に夢中になっていたのです。
父が遺してくれた言葉
しかしその私が、父の存在がないことを日々実感するにつれ大きく変われました。
自分が自分らしく進むために今何をすべきか、その一歩を踏み出し始めたのです。
そこには
「“とっぱもん(突破者)”たれ!(人と違うことをやれ!)」
という、生前の父の言葉がありました。
それまで何度となく聞きながらも実感として理解できなかったこの言葉。
それが本当の意味で、こころと身体に染み込んでいったからこそ、生まれた変化に他ならないでしょう。
一つ目標が決まれば、一気にいく
高校3年の二学期からは一日14時間も勉強をする位集中力が生まれました。
そして先生から絶対無理と言われていた志望校にも見事合格したのです。
「一つ目標が決まれば、一気にいく」
その様な“機を見て敏なる”経営者としても大切な気質を最初に体験し、会得した瞬間でした。
それが、今スタッフにもよく言う
「何をしたらいいか、閃きと(即)行動を大切にしよう!」
という言葉になっているのだと感じます。
自分たちの中でキラリと光る何かを見つけ、スピード感をもって実行に移す、それも大きな“らしさ”でしょう。
今後とも、座右の銘である一期一会を大切にし、自分らしさ、わが社らしさを育んでいきます。
“とっぱもん”であることを誇りに、伝統の中にも新しい兆しを見つけ邁進していく──。
「小さい苦しみ(変化)は、愚痴を生む。大きな苦しみ(変化)は、知恵(と行動)を生む」
のだから。
“独自性(らしさ)”を育むために、
- 自力本願
- “違うこと”を誇りに
- 後ろ盾をはずす(そもそも後ろ盾がある現状に気づく)
ことが大切であると実感する素晴らしいご体験談であった。
四代目として会社を引き継ぐ
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“企業としての吉田商店”
1984年、私は四代目としてこの会社を先代から引継ぎました。
就任直後は、どうしたら良いお酒を造ることが出来るか、
何があればお酒をさらに多くのお客様にお買い求め頂けるか等々、
どうしても日常業務の問題解決に終始することが多かった様に想います。
ただ、こころの片隅には常に、五代目にいかに引き継ぐか、
その組織体制をどの様につくり上げていくかということは頭にありました。
単に私だけの“吉田商店”ではなく、
お客様やスタッフに無くてはならない会社と心底から感じて貰える、
“企業としての吉田商店”により進化させることができるか、
日々忘れることはなかったのです。
ある言葉との出会い
この様な時に出会い、自分にも周りにも伝えるようになった言葉が、
「1年を計る人は花を育てる」
「10年を計る人は木を育てる」
「100年を計る人は、人を育てる」※
※中国の古典「菅子」の一節「一年之計、莫如樹穀、十年之計、莫如樹木、終身之計、莫如樹人」を参照
というものでした。
来年咲く花を綺麗に育てることは大切だが、
更にその土台となる木、そして何よりも終生を想い、その育みの礎となる“人”にしっかりと目を配らせ、
具体的な手立てを打っていただろうかと、ハッとしたのです。
より大局的で長期的な視点をも同時進行で具体的に進めることの大切さが身にしみた瞬間でした。
人が自然と育つ企業
それまでも資質をもった人を集めてきていましたが、
一人ひとりの能力を最大限に引き出すまでには至っていなかった面があったように想います。
しかし、私自身の意識も高まり、
組織全体としての理念や文化、雰囲気・人がイキイキする人事諸制度等の強化に努める中で、
徐々に連携や繋がりが生まれました。
相互に刺激や研鑽し合う“人を育む土壌”の下地ができ、結果個人も大きく成長してきた様に感じます。
これらを踏まえ、複数人数での新卒採用にも踏み切り、組織への好影響が大きく出てきました。
今後五代目の選任やその組閣づくりを強化し、100年先(終生)を見据えた
“人が自然と育つ企業”へのさらなる仕上げとしての行動を進めます。
100年先を見据えた“事業継承”のために、
- 日常業務と同時進行で大局・長期的テーマを意識
- 人を育む土壌づくり(理念・文化等)
- 人が自然と育つ企業づくり
が大切であることを実感する素晴らしいご体験談であった。
企業は環境適応業!
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革新の瞬間
わが社が大きく転換する前の私は、
清酒の蔵元としてこの業界でいかに生き残っていくか、を常日頃考えていました。
どうすれば同業他社より良い品質の酒を造ることができるか、
といったことが何よりの大きなテーマであった様に想います。
四代目の当主として30年の長きにわたり胸の奥に潜む想いはありました。
しかし、古い業界体質の中(例えば“営業するとは品格がない”と言われるような慣習等)、
大きくは変わりきれなかった会社や自分自身がいたのです。
が、あることをきっかけに大きな革新の瞬間を迎えました。
国税局主催の勉強会
国税局主催で「中小企業経営革新支援法」(当時)についての勉強会があり、
これに参加し、学んだことで、背中を押されたような気持ちになったのです。
そして、「どうせなら、わが社が第一号になろう!」と、
その強い想いをこころに、即行動へ移ったことが革新へのスタートでした。
認定を受けるに当たっては、事業計画が漠然としたものではなく、明確さが強く求められました。
社の強みは何か、弱みは何か、具体的にどの様なことをやっていくのか、
資金はどう準備し、売上を3年後・5年後にどこまでもっていくのか等々。
こういった一連の取り組みの中から、「企業は環境適応業」や「コア・コンピタンス経営」という言葉であり、
考えにも巡り会ったのです。
永年の会社を良くしたいという想いが、一気に現実味を帯び、具体的な取り組みが成果となって 現れ始めました。
製造する会社から、経営する企業へ
一言で言えば、製造する会社(酒蔵)から、経営する企業(酒・リキュール製造販売業)への転換です。
新しいマーケットを見極め、
そこに合う新規商品として梅酒(「こだわり梅酒あらごしシリーズ」がトップシェア)をつくり、
海外市場にも大きく打って出るようになりました。
物を作る力だけでなく、モノを売る力、さらには売れる力を強化 出来てきたと感じます。
“どれだけ良いお酒を、どこへ、どの様に”が、際立つ様になり、
その結果、女性層や若年層からの支持を得てこの4年間で5倍の売り上げを達成するに至りました。
「古い体質を打破する」──ために、
- 強い想いをもつ
- まずはやってみる
- 漠然を明確にする
ことが大切であることを実感する素晴らしいご体験談であった。