こころの底からの"実感"なくして、徹底した"実行"は生まれない

事例体験から学びたい!

こころの底からの"実感"なくして、徹底した"実行"は生まれない

普段の生活から徹底した行動を

「ブ~ン!ブ~ン!」と、更衣室に鳴り響くドライヤーの音。
通い始めたある道場で武道の稽古が終り、着替えをしている時の何気ないひとコマである。

・・でもここは、最新式設備のフィットネスジムでも温泉ランドでもない。
確か備え付けのドライヤーは置いていなかったはずなのに・・・ましてやその音が聞こえてくるのは、すぐ隣のトイレからである。

その時、私はドライヤーを使われている先輩のことをいとも単純に「夜の稽古で後は帰るだけではあるけれども、髪型にこだわられる方かな~」と考えていた。

その後も稽古でお会いする度に、その先輩は持参のドライヤーを必ず使われていた。
そのような中、私は髪型にこだわるというより、比較的長いその髪を徹底して乾かされるという意味合いで使われているのではないかと気付き始めた。

何回かの稽古の後、その先輩を含む数人で一緒に飲みに行く機会があった。
驚いたことに先輩は二十代の頃に突如目の病気を患い、物が全て二重に映るという大変な経験をされていた。

風邪のウイルスが視神経を傷つけたものであり、長い療養生活を経て、奇跡的に回復をつかみとっておられたということを私はその時はじめて知ったのである。

この苦しい闘病生活の体験を経て、「絶対に二度と同じことを繰り返したくない!」という想いから、何があっても風邪はひかないという固い決意をされていた。そのことが健康に対してすさまじいばかりの執念を生み、普段の生活での徹底した行動につながっておられたのである。

その一つがご自身で持ち歩いてまでもドライヤーで徹底して髪を乾かすというとことん徹しきった行動になられたのである。

健康でいることへのこだわり

一度失った体の機能を苦しみに耐え乗り越え、乗り越えて自分の手で取り戻された方は、健康でいることへのこだわりがとてつもなく大きいものである。

この先輩の場合も、一度失った健康を取り戻された尊い経験から、健康維持のための徹底した実行につながっておられると感じたのである。

ほとんどの人は濡れた髪が夜風にあたると風邪をひくかもしれないとは思っても、そのために自分から風邪をひかぬようにとわざわざドライヤーをかける人は少ないのではないか。

さらには、設備がない場所でも、持参してまで毎回徹底してそれを実践し続けられる人はそうはいないだろうと思ったものである。

多くの人にとって二十代・三十代の前半までは健康は当たり前のことかもしれない。だが、人は誰もが失ってみて健康がどれほど大切なものかをしみじみ実感するのである。

健康に限らず、人生のあらゆる場面で何もかもを失った経験から、そのありがたさを実感できた時、人はそのものに対しはじめて心の底から大切に扱い始めるのではないだろうか。

その時、私のこころの中には「知識だけでは、人は変わらない」のではないか、という想いがはっきりと芽生えていた。

実感したことで生き様そのものを変える

先輩とのこのような出会いを通じて、決して病気や健康のことだけではなく、人生でしみじみ感じ「得心」したり実感したことは、その人の生き様そのものを変えるものだと強く意識するようになっていった。

色々なことを知ることや理解することももちろん大切だが、それ以上に自分自身が「なるほど」と強く感じることを飛躍的に増やそうと意識するようになったのである。

自分の体や心が自然に感じたものは自分の心の奥底から湧き出たもので、いうなれば純粋であり本物なものかもしれない。

そしてそういった感覚にそって生きることが、その人の生き方としては最も力強いものになるのではないだろうか?

逆に、こうあるべきだ、こうしなければという考えや知識から入った行動は、えてして自分の本心と違う場合があり、しょせん長続きしないのではないかという想いが溢れてきた。

志(仕)事での実践

私は大病以来自分自身の中で「一病息災」(いちびょうそくさい)という考えで生きてきたように思う。

この言葉は、ことわざの「無病息災」から一字だけ変えたものである。

本来の意味は、病気がなく元気でいることは、災いがおこることをとどめる(ここでの'息'はとどめるの意)ということである。

もちろん病気にかからないにこしたことはない。
が、私自身健康であることの素晴らしさを実感し、それを維持するため気付いたことは確実に実行しようと決めたのは健康をつかみとってからである。

そこで、「一病息災」、つまり一つの病を経験することで、災いをとどめるという考えが私にはとてもしっくりきたのである。

私は、しみじみ感じ入ったり、「これだっ!」と得心することで、実行のパワーが生み出されるのは志(仕)事をしていくうえでも当てはまると思い、この考えを志(仕)事に応用してみた。

失敗しないということは、それにこしたことはないかもしれない。

しかし一つの失敗を経験することにより(ただし、同じ失敗でも'全力投球'した上での失敗・・・これが何より大切なことは言うまでもない)、その人が失敗したことから屈辱や悔しさを知る。

その結果、どうすれば失敗しないかを心から真剣に考え「行動」して得た成功の喜びを「実感」した時、徹底した「行動」が継続して実践されるようになる。

そしてその時の「実感」の度合いが大きければ大きいほど、「行動」の徹底度は高まるのではないかと強く思うようになったのである。

人間にとってエンジンにあたる「行動」を目覚めさせるには、「知識」というガソリンだけでなくプラグ(点火装置)に当たる「実感」こそが必要ではないかということだ。

こころの底からの"実感"なくして、徹底した"実行"は生まれない

あなたご自身は何を感じ、どのように進めておられますか?

毎日の言葉

  • 「知識だけでは、人は変わらない」
  • 「人生でしみじみ感じ「得心」したことは、その人の生き様そのものを変える」
  • 「一病息災」
  • 「こころの底からの "実感"なくしては、決して徹底した "実行"は生まれない」
水野秀則
水野秀則

  1. あなたにとってあるのが当たり前だけれど、失った瞬間にどれほど大切なものかが実感できる・・・それは何ですか?
  2. あなたはそれを失わないために、何にどのように取り組んでおられますか?

(2019年8月15日リライト)

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