事例体験から学びたい!

配慮とは? 気配り心配りしていることを感じさせないのが一番の配慮

2022年4月25日

配慮に欠ける喫茶店で感じた「何かが違う!」

「お決まりになられましたか?」という店員さんの配慮に欠けた問い掛けに、「ちょっと、待ってもらえますか!」と私。渋谷でスタッフと打ち合わせしようと入った喫茶店でのひとコマである。

この店は多店舗展開しており、特に青山の店は私のお気に入りの店である。

そこで、期待して渋谷の店もと初めて入った。

その瞬間、経営者は同じなのに「何かが違う!」と感じていたのだが・・・。

冒頭のひと言で「やはり」と思い、その「何か」が見え始めたのである。

さらには、オーダーをしようとすると、3~4人いる店員とどうしても目が合わない(こころを通い合わせることができない)。しかたなく何度となく大きな声で、「すいませ~ん」と呼び掛けて、やっとのことで、テーブルまで来てもらったというありさま。

賑わっていて、忙しい時間帯でもないのに・・・。

気配り心配りを『感じさせない』店の居心地

「やっぱり、あの青山の店はすごい」という想いが、私の脳裏をよぎった。

経営者が同じ、内装もほぼ同じ、多少広さの違いはあるが、物理的条件に大差はない。

しかし、ゆったりとした雰囲気で、暖かい接客で、充実した打ち合わせをしたい一人の客として見た時、二つの店のそれはあまりにもはっきりした違いであった。

目に見える内装や設備・備品というハード面に大差がないだけに、店員の姿や接客態度、さらには流れている空気の違いまでがより際立って感じるのである。

青山の店では、とってつけたような気配り心配りは一切なく、全てがまったくの自然体。

言うなれば気配り心配りをしてもらっている感覚がほとんどない。

オーダーを受けるのも実にタイミングがよく、そのさりげなさにいつオーダーをしたのかさえ忘れるような不思議にゆったりとした感覚。

そんな訳で、いつもスタッフとの打ち合わせに集中できるのである。

そこには、客が何を欲しているのか、その動きや表情をよく見ている研ぎ澄まされたプロの感覚がある。かといって、客の立場からすると、「見られている」感覚はいっさいなく、必要性を感じたときにその存在を認識するという程度の雰囲気。

これが本当の意味でのホスピタリティーであり、気配り心配りというものだと実感できる店である。

こうしてみると渋谷の店は気配り心配りを『感じさせる』店であるが、真の意味での気配り心配りが『ない』店。

一方、青山の店は気配り心配りを『感じさせない』店(実際は気配り心配りをものすごくしているのだが、そのことを感じさせない店)であるが、本物の気配り心配りがあきらかに『ある(存在する)』店

気配りは、目配り・こころ配りから

私はこの同系列の二つの店のサービスを体験することで、「気配りは、目配り・心配りから」ということを実感したのである。

お客さまが何を感じているのか、どうして欲しいと想っているのか、そのスタート地点をおさえていることが何よりも大切なのであると。

これまでの体験を通じて「心を通い合わせなければ、努力は単なる労力におわる!」という想いがいよいよ深まっていった。

日常の何気ない会話やビジネスでの打ち合わせ等、色々な方々と言葉のやりとりをしているが、相手の望むものを的確につかまない限り、真のキャッチボールをしていることにはならないのではないか。

この喫茶店での体験から自分自身を振り返えるまたとない機会を得た私は、単に見るから、注視する「視る」を意識し、看護婦さんのように暖かく見守る「看(み)る」を努力するようになったのはいうまでもない。

また、単に出来事だけを「聞く」のでなく、相手のこころがどのように感じたのかを添えて「聴く」ことを進めてみた。

さらには、相手が「~と思う」を「考え」として受け止めるだけでなく、「~と想う」として受け止め、相手の「こころ」の動きとして受け止めるように変化する自分を感じ始めていた。

気配り心配りしていることを感じさせない配慮が、一番の配慮

志(仕)事をはじめ、日常のあらゆる場面では、相手とこころが充分に通い合わないことで、勘違いや思い違いが発生し、大きなロスや誤解につながることも多いように思う。

また、こちらでは配慮したつもりが、相手にはむしろ重荷になっていることもある。

今更ながら、こういうことに深く想いをめぐらすことの大切さを実感している。

そこで、こころを相手と通わせるために、言葉を通じた「確認」に念を入れることはもとより、言葉を介さない「確認」の徹底に努めたのである。

言葉を介さない確認とは、相手の表情(本質はこころ)を的確に感じるということである。

自分のことにとらわれて過ぎて、相手を本当に理解せず、それどころか、こころから感じていないことが多いようにさえ想う。

本当の配慮というものは空気のように感じられ、相手はその配慮をほとんど感じないのではないだろうか。

気配り心配りしていることを感じさせない配慮が、一番の配慮」の言葉通り、日々の努力を単なる労力に終らせることなく、物事をはっきり観察したり見分けたりするこころの働きである『心眼』をテーマにすえて歩み続けたいものである。

あなたご自身は何を感じ、どのように進めておられますか?

配慮について改めて考えるあなたへの言葉

  • 気配り心配りを『感じさせない』店(実際は気配り心配りをものすごくしているのだが、そのことを感じさせない店)であるが、本物の気配り心配りがあきらかに『ある(存在する)』店。
  • 「気配りは、目配り・こころ配りから」
  • 「心を通い合わせなければ、努力は単なる労力におわる」
  • 「気配り心配りしていることを感じさせない配慮が、一番の配慮」
  • 「心眼」

配慮上手なあなたへの問い掛け

  1. あなたはどのような配慮やサービスに感動されますか?
  2. あなたは相手とこころをつなげるために、どのようなことに取り組んでおられますか?

(2022年4月25日リライト)

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