18歳で父親を亡くしたB氏(匿名)。
父親の存在の大きさを感じながらも、後ろ盾をなくして、いかに自分が弱く、依存した人間であるか突き付けられました。
しかし、いろんな出会い(言葉)がB氏を勇気づけ、前を向かせてくれたのです。
誰しもが大なり小なり困難に直面すると思いますが、B氏の体験談を読んでいただいて、何かを感じ取ってもらえればと思います。
お前ならできる!
株式会社 A社代表取締役専務 B氏(匿名)
(41歳、住宅建設・不動産事業)
人生と事業が大きく動く前の状況
私は小学生の頃から剣道を通じて、実に様々な指導者や組織のリーダーと言われる人たちと身近に触れ合ってきました。
指導を受ける立場から、
どの様なリーダーが真の成長を引き出すことに長けているのか
如何にしてそれぞれの個性にあった方法で皆を導いているのか
直に見、聞き、感じてきたのです。
この幼い頃から剣の道を通じて得た体験が今、日々の会社経営や社員の指導に生かされていることは間違いありません。
経営者・リーダーとして、こころにしみたあの言葉
ある指導者は、私に「お前はまだまだだ! 」と言い続けていました。
年上の選手を打ち破ったり、個人戦では全国大会にまで進んだりしたこともあったにも関わらず・・・。
何で俺だけには厳しいのか! 何で俺だけに強く言うのか!
という気持ちが湧き上がったことも幾度となくありました。
しかし元来負けず嫌いの私は、何とかこの指導者に認めてもらおう!と毎日必死に頑張ったのです。
そして気が付いた時には、団体戦で勝つために、自分の技量の向上だけでなく周り全体の成長のことも常に考える様になっていたのでした。
迎えた卒業年度、団体戦最後の大会。
何とか優勝を勝ち取り、主将を努めていた私にこの指導者が一言
「お前ならやる! と信じていた」
と、こころの底からの想いを吐露されたのです。
人生・事業で何がシフト(転換)したか
大人になった今考えると、この指導者はすぐつけ上がる私の個性を実によく見て下さっていたと感じます。
口では厳しく叱りつつも、態度・行動ではいつも温かく“私”を見守っていて下さいました。
また、私は18歳で親父を亡くしました。
人に騙されたり、経済的に行き詰ったり様々なことがある中で、人間不信に陥った時があったのも事実です。
しかし、辛い場面でも何とかくじけずにここまで成長してこられたのは、剣道での体験や恩師の言葉がこころに宿っていたからに他なりません。
この、日々の稽古や生活態度全体を通じて私という人物を理解し、接して下さった師の指南が、今の自分自身の礎となっているように感じています。
「人の成長を促す」──ために、
- 人と深く関わる 人(の個性)を見抜く
- 人を信ずることが大切であることを実感する
素晴らしいご体験談であった。
わかったら、俺にも教えて!
人生と事業が大きく動く前の状況
親父を亡くし、気が付いたことがいくつかありました。
中でも、自分自身「結構、寄りかかっていたなぁ」と実感し、父という存在を改めて認識したことが大きかったです。
親父が居るから好きなことができる。
親父が居たからこそ、自由に生きてこられた─。
ある面、周りに対して強がったことも言える自分がいたのはその大きな存在があったから・・・。
しかし、その後ろ盾がなくなり、いかに自分が弱く、依存した人間であるかをしみじみと感じていました。
経営者・リーダーとして、こころにしみたあの言葉
そして、若くして母と姉の生計も含めた一家の屋台骨を背負う形となった私は、それまで全く縁も所縁も無かった建設不動産業界に飛び込んだのです。
そこで出会った最初の上司が、「仕事は教えない」というタイプの方でした。
新人で分からない事が沢山あって聞きに行くと
「それ、僕もわかんないなぁ。ちょっと考えてみて」
「忘れちゃったよ。調べてみて」
と、十分な返答がなかったのです。
極めつけには、「わかったら、俺にも教えて!」という依頼があったこともありました。
人生・事業で何がシフト(転換)したか
最初の頃は正直、大変な上司に当たったな、という風に捉えていました。
しかし徐々に、実はこの上司はとても心根に温かいものをもっている人だと感じてきたのです。
教えないのは意地悪をしているのではなく、私を信じ、真の成長を願ってくれているから。
自分で考える前にすぐ人に頼ってしまう私の気質を見抜き、接して下さっていたのです。
今想うと、後に私の人生と仕事の両面において大きな財産となった依存(指示待ち)体質からの脱却へこの上司が導いてくれたのは間違いありません。
当時、知識やテクニックを手取り足取り教えてもらっていたら、確かに短期間でそれなりの業務ができる様になっていたのかもしれません。
しかし、自ら仕掛け、仕事を生み、創造出来る様な事業家的なモノの見方と行動力を持ち、責任を担える立場の人間には育っていなかったであろうと感じています。
“事業家的なモノの見方と行動力をもった人財を育む”ために、
- 教え(過ぎ)ない!
- 知識・テクニック面だけでなくスタンス(立ち位置)面での関わり
- 魚を与える⇒釣り方を教える⇒釣り人本人が自ら考え、違いを生み出すことが大切である
越えられない壁は訪れない!!
人生と事業が大きく動く前の状況
新しい会社にも慣れ、住宅不動産業界の仕事の面白さを日ごと実感する様になった頃、また大きな転機が訪れました。
この時までの私は、「とにかくやってみる」という想いでただがむしゃらに行動をし、成果を追い求める日々。
お客様との関係や経験値が増えるにつれ、個人の業績も急激にあがっていきました。
評価は若手の中で全社トップクラスとなり、最年少で課長、最年少で店長、とトントン拍子に活躍のステージがあがっていったのです。
しかし、そこにひとつの壁が立ちはだかりました。
自分が店長になって以降、メンバーの退職が相次ぎ止まらなかったのです。
経営者・リーダーとして、こころにしみたあの言葉
ちょうどその頃、プライベートでも、問題を抱えていました。
ガンガンと攻め入るのは得意だが、周りの言うことに充分耳を傾けない自分の性格の脆さが色々な場面に出てきて大きな障害になっていたのです。
その様な折に、日頃かわいがってもらっている業界の経営者の方々とスキーにいく機会がありました。
この時、一人の経営者の方から「自分にとっての“高さの(身の丈にあった)問題”が来ているんだよ。
人がどうのこうのではなく、自分自身に矢印を向け、己の殻を叩き割ることだ。越えられない壁は決して訪れない。
自らが変われば、問題は自然と解決してくる。自分を革新する絶好のチャンスだ」と諭してくれたのです。
人生・事業で何がシフト(転換)したか
この言葉をもらった瞬間、全身から力がスッと抜けた感覚がありました。
あの時、悩んで苦しんで、どうしようもないくらいに追い詰められていたからこそ、結果的に180度異なる世界(①自分が成果を出す⇒組織で成果を出す ②人を厳しく指導する⇒相手の話に耳を傾け支援する)に転換できた感じがしています。
自身の臨界点の様なものにまで達せず、中途半端な状態であったなら小手先だけの改善に終始し、大きな自己革新を迎えることはできなかったでしょう。
自己革新や、組織革新をするためには、この壁や障害というものは、辛いけれども必要不可欠で、そこが言うならば“入り口”の様にこころの底から感じた大切な経験であったことは間違いありません。
“壁を突破する”──ために、
- 壁・障害は革新の入り口でありチャンスと認識する
- 先を行く方々との本音の対話と助言を受け入れるこころをもつ
- 自分自身に矢印を向け、殻を叩き割る
これらを実感する素晴らしいご体験談であった。