こんな出来事が!
ここ数年、健康のために自転車に乗る機会が増えた。膝・腰に負担がかからず、爽快感を味わえるので、私にはジョッギングより合っているようだ。「経営者の大切な業務の一つは、健康管理である」という想いから始めたものの、今では草野球ならぬ、草(自転車)レースに出場するまでになった。
先日あるレースで、前を走っている選手の脚を何気なく見た時である。「アァッ! 義足だ!・・・すごい方がいる!」と、驚きと共に、全身に鳥肌がはしった瞬間であった。
自転車競技では、脚をすごい勢いでクルクルと回すため、空気抵抗を避けるため短パンである。だから、義足がむき出しになっていたのに気付いたのである。
これまでもパラリンピックで体が不自由な方の競技を見る機会はあったが、一緒に競技をする機会はもちろんなかった。義足であっても、そのことに言い訳をせずハンディをものともせずに、私と同じいやそれ以上のスピードで駆け抜ける姿、その息づかい━━━そこに、映像等のメディアを通じてでは決して得ることのできないすごみと迫力を感じたのである。
私の想い
義足の方とのレースに感動し着替えを済ませた後、自分では認めたくない事を認めざるをえない気持ちが湧き上がってきた。それは「自分は自分に、まだまだ言い訳している!」「はたして自分は、草レースとはいえ自分へのあくなき挑戦をしているのか!」と。
「忙しいから・・・」「年だから・・・」「(自転車に)乗るようになって短いから・・・」「健康のためだから・・・」「機材(自転車本体)が良くないから・・・」と勝手な言い訳をし、もてる力をとことん出し切っていない姿がそこに浮かび上がってきたのである。
頭では「~だから」で考えるのではなく、「~だけど」という心構えで仕事にとり組むと決めている。だが、日頃の行動面では、まだまだこういったとり組みができていないと実感したのだ。
日々への影響
今回言い訳について深く見つめる機会を得て、自分に言い訳をせずたえざる自己革新を進めていくには何が大切かということが以前にも増してはっきり見えてきた。
それは、まず第1に自分に言い訳をしているタイプかどうか(その度合い)を見極めることだ。ここで大切なのは、まず言い訳していない様でしている自分を認めることである。第2に自分に対しての言い訳でどのような言葉が多いかだ。第3には、その言い訳をすることで何かプラスのことを生み出しているかを見つめる。ほとんどの場合、単なる気休めをもたらしているだけで、真に得るものは何もないことは間違いがない。
生活・志事(仕事)の中での実践
今回、趣味の自転車競技という場面ではあったが、こころの癖が一つ明確になった。それは、まだまだ言い訳をし、能力を閉じ込めてしまっているという自分の存在に気付いたことだ。
このような角度から、日々接する多くの経営者やリーダーの方を見つめてみた。そこには、言い訳をすることで、自分自身(の能力や成長)を“あきらめている”人が意外にも多いことを今更ながらに感じたのであった。
「年も年だから」「やったことがないから」「自分は気が弱いから」「会長がいるから」「創業者でなく後継者だから」「リーダーだけど、お目付け役がいるから」「後継に譲って第一線を退いているから」等々。
自分を見つめ、経営者・リーダーの方々を見つめる中で、今置かれた状況で最善を尽くす、自らの限界に挑戦をし続けることの大切さを改めて学んだ気がする。また、「人と比べるのではなく、自分の過去と比べ、能力を出し切るところには感動がある」こともしみじみと感じたのであった。
(自分が自分を)あきらめない心が、あくことのない探求心と自己革新を生む!ことを再認識した素晴らしい出来事であった。
あの自転車レースで出会った方の身体的ハンディをものともしない挑戦!!━その奥底にはまさに“言い訳無用”のたくましいスピリッツが息づいていたのである。
あなたご自身は何を感じ、何にとり組んでおられますか?
毎日の言葉
- 「経営者の大切な業務の一つは、健康管理である」
- 「自分へのあくなき挑戦」
- 「「~だから」で考えるのではなく、「~だけど」という心構え」
- 「言い訳していない様でしている自分を認める」
- 「言い訳は単なる気休めをもたらすだけで、真に得るものは何もない」
- 「自分の能力を出し切るところには感動がある」
- あなたが自分にする言い訳は何でしょうか?
- あなたはそのことで何を得て、何を失っていると想われますか?
(2019年7月13日リライト)