【失敗者】
2ヶ月に1回主催のZoomセミナーの場面
新社会人となる内定者と、
経験豊富な職業人での語らい
テーマはズバリ「私の失敗」
前半、不安や恐れで場が盛り上がる
が、後半チャットに出てきたのは
「失敗してもいいんだ」 と、学びの声
内定者や新卒チューターに
成功でなく失敗体験を伝えたい— ふさぽ@経営者 (@future_support) January 9, 2026
新卒を迎える前に、本当に準備すべきものとは?
新卒採用の時期が近づくと、多くの企業で「受け入れ準備」が話題になります。
チューター制度、エルダー制度、OJT計画、マニュアル整備──どれも大切ですし、必要なことです。
ただ、今回のZoomセミナーでの出来事を振り返って、私は改めて感じました。
本当に準備すべきものは、制度や仕組みの前に「迎える側の姿勢」ではないか、ということです。
新卒や内定者は、知識やスキル以上に、
「ここで失敗しても大丈夫だろうか」
「この先輩たちは、自分をどう見ているのだろうか」
そんな空気を、言葉以上に敏感に感じ取っています。
制度やマニュアルでは整わない「受け入れ側の準備」
制度やマニュアルは、言ってみれば“外側の準備”です。
一方で、今回のポストで触れたように、場の空気を変えたのは、
経験豊富な職業人が、自分の失敗を率直に語ったことでした。
前半は、不安や恐れの話で場が少し重たくなりました。
ところが後半、「私の失敗」を語る時間が増えるにつれて、
チャットには「失敗してもいいんだ」という言葉が自然と並び始めたのです。
これは、制度では生まれません。
先輩自身が、失敗をどう受け止め、どう乗り越えてきたのか。
その“人としての姿勢”こそが、若手にとって最大の安心材料になります。
新卒を迎える準備とは、
「何を教えるか」を整えることではなく、
「どんな背中を見せるか」を整えること。
ここが定まったとき、チューター制度もエルダー制度も、
初めて“生きた育成の仕組み”として機能し始めるのだと、私は実感しています。
失敗談を語る場で起きた、若手の意識変化
不安と恐れが共有された前半
Zoomセミナーの前半で語られたのは、いわゆる「きれいな話」ではありませんでした。
仕事での失敗、判断を誤った経験、自信を失った瞬間──。
経験豊富な職業人が、あえてその部分を切り取って語ったことで、場には独特の緊張感が生まれました。
内定者や新社会人にとって、不安や恐れは「感じてはいけないもの」ではありません。
むしろ、誰もが感じているにもかかわらず、口に出しにくいものです。
そこに先輩が自らの弱さを重ねることで、
「不安を持っているのは自分だけではない」
という安心感が、静かに広がっていきました。
受け入れ準備において、この“不安を共有できる空気”をつくれるかどうかは極めて重要です。
先輩が完璧な存在であろうとするほど、若手は本音を隠してしまう。
この前半の時間は、そのことを改めて教えてくれました。
「失敗してもいいんだ」が生まれた後半の空気
後半に入ると、チャットの雰囲気が明らかに変わりました。
印象的だったのは、「頑張ります」や「勉強になりました」ではなく、
「失敗してもいいんだ」という言葉が自然に出てきたことです。
これは、失敗を肯定したから生まれた言葉ではありません。
先輩たちが、失敗を“経験として引き受けてきた姿”を見せた結果です。
新卒や若手にとって重要なのは、
「失敗しないこと」ではなく、
「失敗したときに、どう扱われるか」を想像できることです。
この空気がある組織では、若手は挑戦します。
逆に、この空気がない組織では、失敗しないことが目的化し、成長が止まります。
受け入れ準備とは、
若手に安心して挑戦させる“余白”を、先輩自身が用意できているかどうか。
その差が、育成の質を大きく分けるのだと、この場面から強く感じました。
なぜ成功談より、失敗談が育成につながるのか
新卒・若手が安心して挑戦できる心理的土壌
成功談は、目標にはなりますが、必ずしも安心にはつながりません。
特に新卒や若手にとっては、「自分もそうなれるだろうか」という距離感を生みやすい側面があります。
一方で、失敗談には「自分も通る道かもしれない」という現実味があります。
先輩がどんな場面でつまずき、どんな感情を抱き、どう立て直したのか。
そのプロセスを知ることで、若手は初めて
「失敗しても、ここに居場所がある」
と感じられるのです。
心理的安全性という言葉がありますが、
それはルールで担保されるものではありません。
先輩がどこまで自分を開示しているか、
その姿勢の積み重ねによって、土壌として育っていきます。
失敗を語れる先輩が持つ影響力
失敗を語れる先輩は、弱い存在ではありません。
むしろ、自分の経験を引き受け、言語化できているという点で、
非常に成熟した存在です。
若手は、その姿を見ています。
完璧な答えを持っている人よりも、
迷いながらも前に進んできた人の言葉の方が、心に残るものです。
チューターやエルダーに求められる影響力とは、
指示命令の強さではなく、
「この人のように成長していけばいいのかもしれない」と思わせる力です。
失敗を語れる先輩が一人いるだけで、
若手は挑戦のハードルを一段下げることができます。
それは結果として、組織全体の学習速度を高めることにもつながっていきます。
チューター・エルダーに求められる「教える力」の正体
正解を教える人と、挑戦を支える人の違い
新卒育成の現場で、先輩が陥りやすいのは「正解を教えよう」とする姿勢です。
もちろん、業務の基本やルールを伝えることは欠かせません。
ただ、それだけでは若手は“指示待ち”になります。
一方、挑戦を支える先輩は、すぐに答えを渡しません。
代わりに、「どう考えた?」「なぜそう思った?」と問いを投げかけます。
失敗しても、その失敗を一緒に振り返り、次につなげる。
この違いは、教え方のテクニックではなく、
失敗をどう捉えているかという、先輩自身の価値観にあります。
失敗を避けるべきものと考える先輩ほど、正解を急ぎます。
失敗を学びと捉えている先輩ほど、挑戦の余地を残します。
この差が、育成の深さを決定づけます。
先輩の「語り方」が育成力を左右する
同じ失敗談でも、語り方によって伝わり方は大きく変わります。
武勇伝のように語れば、「特別な人の話」になります。
自慢でも自己卑下でもなく、当時の迷いや感情をそのまま言葉にすると、
若手は自分事として受け取ります。
「なぜあの時、そう判断したのか」
「今なら、何を大事にするか」
こうした視点を添えることで、失敗談は単なる過去話ではなく、
未来に使える“思考の材料”になります。
チューターやエルダーに求められるのは、
上手に話すことではありません。
正直に語り、問いを残すこと。
その語り方が、
「この人になら相談してもいい」
「失敗しても話していい」
という信頼を、静かに育てていきます。
育成とは、後輩のためであり、自分自身のためでもある
失敗を言語化することで、先輩が成長する理由
失敗談を語ることは、後輩のためだけではありません。
実は、語る側である先輩自身にとっても、大きな学びになります。
失敗は、経験しただけでは意味を持ちません。
振り返り、言葉にし、誰かに伝えようとしたときに、
初めて「自分は何を大切にしていたのか」「何が足りなかったのか」が整理されます。
チューターやエルダーとして後輩に向き合う中で、
自分の過去を棚卸しする機会を持てることは、
先輩自身の仕事観や判断軸を鍛え直すことにもつながります。
育成とは、教える側が完成している状態で行うものではありません。
育てながら、同時に育てられている。
この感覚を持てる先輩ほど、育成を前向きに引き受けられるようになります。
組織に育成文化が根づく瞬間
育成文化は、制度を導入した瞬間に生まれるものではありません。
日常の会話の中で、失敗がどう扱われているか。
その積み重ねによって、静かに根づいていきます。
失敗した若手に対して、
「なぜできなかったんだ」ではなく、
「次はどうする?」と問いかける空気。
先輩自身も、
「実は自分も同じ失敗をした」と自然に語れる関係性。
こうした場面が増えたとき、
育成は“特別な役割”ではなく、組織の日常になります。
新卒受け入れ準備とは、
若手のための仕組みづくりであると同時に、
先輩が安心して未完成でいられる環境づくりでもある。
そのことを、改めて強く感じています。
新卒受け入れ準備は、入社前から始まっている
迎える側の意識が、若手の未来を決める
新卒が入社してから育成を考えるのでは、少し遅いのかもしれません。
若手の成長スピードや定着度は、入社前から、すでに大きく左右されています。
それを決めているのは、
「どんな教育制度があるか」ではなく、
迎える側が、若手をどう捉えているかという意識です。
失敗させないように守ろうとするのか。
失敗しながら学ばせようと腹をくくっているのか。
その違いは、日々の言葉や態度ににじみ出ます。
新卒は、その空気を敏感に感じ取ります。
だからこそ、受け入れ準備とは、
迎える側の覚悟を整えるプロセスでもあるのだと思います。
人が育つ組織に共通するシンプルな共通点
これまで多くの現場を見てきて、
人が育つ組織には、ある共通点があると感じています。
それは、
失敗が特別扱いされていないということです。
失敗を隠す必要も、過剰に持ち上げる必要もない。
ただ、次につなげる材料として淡々と扱われている。
このシンプルさが、挑戦を日常にします。
新卒受け入れ準備の本質は、
立派な仕組みを用意することではなく、
「失敗しても、ここで学べばいい」と、
先輩が自然に言える組織であること。
この考え方が腹落ちしたとき、
育成は負担ではなく、組織の力そのものになっていく。
私は、そう信じています。
