自己資本比率がわからないの?
人生・事業が大きく動く前の状況
わが社は明治14年に創業。
今、改めて振り返ると社の歴史は、時代に合わせた旧体制からの脱却の連続であった様に感じています。
創業以来、昭和の中頃まで繁栄を築きあげてきた新品の綿布団製造事業。特に大きな脱却は、その綿布団製造から布団リフォーム事業への転換ではないでしょうか。
そこには前社長である吉村信一郎(現会長)の大きな決断がありました。
大量消費時代の中でも、物を捨てたくない、大切に直して使いたい、という人なら誰もが抱くであろうあたたかい気持ち。
そこに着目し、布団でその想いに応える仕組みを創り、平成2年に現在の事業が産声を上げたのです。もちろん、エコ・環境時代の到来を鋭く予見し、早期に着手する──先見力と行動力が存在していたのは紛れもありません。
経営者・リーダーとして、こころにしみたあの言葉
その想いを形にしてきた前社長の強さ・行動力は凄まじく、ワンマン的な経営ではありましたが、それが会社を支える原動力になっていたと思います。
そのような中で、私は入社から12年間、漠然と会社を手伝っていたにすぎませんでした。
そんな私が初めて考えなければいけない、変わらなければいけないと思った切っ掛けは、ちょうど2年前、入社11年目で、まだ業務課長の時に訪れたのです。
ある若手後継者の会で決算書の話題になった時、同世代の仲間から「自己資本比率がわからないの?」と詰め寄られました。
それまで業務と営業は担当したことがあり、収益(P/L・フロー)のことは多少の理解はありましたが、貸借(B/S・ストック)にはまったく不勉強だったのです。
人生と事業で何がシフト(転換)したか
「このままではやばい」「自分より条件や状況が悪い中、皆勉強してやっている」と心底痛感しました。
そこから勉強を始め、友人の意見ややり方を参考に、自分の目指す経営を考える様になったのです。
事業の創業者はワンマンであるのが効果的だと思いますが、二代目は協調性をもって組織を作っていくのが大切だと思いました。
その為に社員が経営者に頼るのではなく、個人個人が考え、またその考えを尊重できる会社作りを目指そうと転換を図ったのです。
現在は、自分からのさらなる脱却を図る上で、「自らやったほうが早い」と感じることはあっても、一人一人が考える環境をつくろうと、ドンドン権限委譲することを試行錯誤しながら進めています。
今後も“脱却”は私の事業や人生の上でのキーワード。
「お客様に喜んでもらえる事とは何か、その為に何をすべきなのか、どうすればそれを継続できるのか、それらを自分でも皆でも考え実行する。」
──そんな会社でいる為に、何から脱却するのが効果的なのかを日々考えていきます。
「(時代や現状の自分から)脱却」──をするために、 時代の到来を予見(先見力) 早期に着手(行動力) 同世代の仲間との交流・刺激を受ける(痛感)すること が大切であることを実感する素晴らしいご体験談であった。
(2019年12月4日リライト)※役職は当時のものです。