【連休中日】
「休みも働かナキャ」と
頑張る人
一方でアノ人に、アノことで
「日曜も役に立ちタイ」と動く人
『重い"死事"と楽しい"志事"』
好きなこと、意味を見いだしたことは《毎日が日曜日》
仕事か、遊びかわからない
イマココ自分
今日の仕事に少しでも
《意味と好奇心》を
あなたはどうだろ?— ふさぽ@経営者 (@future_support) October 11, 2025
「毎日が日曜日」という生き方に込めた意味
“働く”が“遊ぶ”に変わる瞬間
「毎日が日曜日」というと、のんびりとした休息の象徴のように聞こえるかもしれません。
けれど私がこの言葉に込めた意味は、**“休むように働く”ではなく、“働くこと自体が喜びに変わる”**ということです。
私たち経営者にとって、働くとは人生そのものです。
どれだけ休みを取っても、「あの案件はどうなったかな」「あの社員の成長は今どうだろう」と、心が仕事に向かってしまう──そんな経験は誰しもあるのではないでしょうか。
しかしそれは、決して悪いことではありません。
自分のしていることに意味を感じているからこそ、心が動く。
むしろ、それが“志事”の第一歩なのです。
「働く」と「遊ぶ」は、本来対立するものではありません。
夢中になれる対象を見つけたとき、両者の境界は消えます。
トレイルランの山道を走っているときのように、苦しいのに楽しい──あの感覚に似ています。
目的が「結果を出す」から「成長を感じる」へと変わった瞬間、働くことそのものが生きる喜びへと昇華していくのです。
「志」がある人の働き方は、日曜日のように軽やかです。
義務感や責任感で自分を縛るのではなく、心から湧き出る「意味」と「好奇心」に従って動いている。
そうした日々の延長線上にこそ、《毎日が日曜日》という生き方があるのだと、私は思うのです。
経営者が感じる「義務」と「自由」の境界線
経営者にとって、働くとは「自由の象徴」でありながら、同時に「責任の塊」でもあります。
自由に決められる立場である一方で、社員や取引先、家族の人生まで背負っている。
その重さに、ふと「この責任から逃れたい」と感じたことがある方も少なくないでしょう。
私も若い頃、同じような葛藤を抱えていました。
休みの日でも気が休まらず、「経営者とは、いつ休むことが許されるのだろう」と思い詰めた時期がありました。
しかし、ある経営者の言葉が転機になりました。
「水野さん、“責任”は重いけど、“志”は軽いよ。」
この言葉で、私の中のスイッチが切り替わったのです。
義務としての「責任」は心を圧迫しますが、志としての「使命」は心を解放してくれます。
同じ行動をしていても、“やらされている”と感じれば苦しく、“やりたい”と感じれば軽やかになる。
経営者が感じる「重さ」と「軽さ」の違いは、実はこの一点にあります。
「義務」と「自由」の境界線は、外の環境ではなく、自分の心の置き方にある。
志に生きるとは、経営を“やらなければならない仕事”から“やりたい志事”へと変えること。
そうして心が自由になったとき、経営者の目には“日曜の光”が差し込むのです。
「仕事」と「志事」の違いとは?
重い“死事”と軽やかな“志事”の分かれ道
「仕事」と「志事」──たった一文字の違いですが、その意味は天と地ほどの差があります。
“仕事”とは、与えられた枠の中で成果を出すこと。
一方“志事”とは、自らが意味を見いだし、誰かのために価値を創り出すことです。
“死事”とは、心がすり減り、ただ義務感で動く働き方を指します。
「やらなきゃ」「責任だから」「他に代わりがいない」──そんな言葉が口癖になっているとき、
それは“志事”ではなく“死事”の領域に入っているかもしれません。
私自身、コンサルタントとして独立したばかりの頃、
「もっと頑張らなければ」「結果を出さねば」と、自分を追い込んでいた時期がありました。
しかし、数字に追われ、心が置き去りになっていたことに気づいた瞬間がありました。
そのとき感じたのは、**「がんばり」ではなく「よろこび」で動くことの大切さ」**でした。
志事とは、誰かの笑顔に寄与し、社会に小さくても灯りをともすこと。
「今日は誰の役に立てたか?」と問える一日こそ、志事の証です。
重い“死事”を続ける人は、日々の努力が“消耗”になります。
けれど、軽やかな“志事”をしている人は、日々の挑戦が“充電”になります。
その差は、働き方のテクニックではなく、**「心の向け方」**にあるのです。
経営者が忘れがちな“意味”と“好奇心”
経営者にとって、日々の判断や決断は「重さ」を伴うものです。
数字、組織、人間関係──そのどれもが大切で、軽んじることはできません。
けれど、その忙しさの中で、つい置き去りにしてしまうものがあります。
それが、「意味」と「好奇心」です。
“意味”を見失うと、どれだけ努力しても心が乾きます。
「なぜこの事業を続けているのか」「何のために今ここにいるのか」──
この問いを持たなくなった瞬間、経営は惰性になります。
そして、“好奇心”を失うと、挑戦する力が止まります。
子どものように「やってみたい」「知りたい」と思う気持ちは、
経営者の中で最も純粋なエネルギー源です。
私の知る尊敬すべき経営者たちは、例外なくこの二つを大切にしています。
どんなにベテランでも、新しいことにワクワクし、学び続ける。
どんなに実績があっても、「この仕事は誰の幸せにつながるか」と自問している。
“意味”があるから、迷っても前に進める。
“好奇心”があるから、壁にぶつかっても諦めない。
この二つを持つ経営者の姿は、まるで“日曜日の朝の光”のように明るく、柔らかい。
仕事に追われるのではなく、志事に導かれる──
そんな経営者こそが、組織にエネルギーを与える存在だと、私は信じています。
「志」が働くエネルギーを生む理由
やらされ感からの解放
「やらされている」と感じるとき、人は不思議なほどエネルギーを失います。
同じ作業をしていても、“やらされ感”のある人と、“やりたい”と思って動く人では、
疲れ方も成果もまったく違ってくるものです。
人が一番強く動けるのは、「自分が選んでいる」と感じているとき。
そして、その選択の根っこにあるのが“志”です。
志とは、他人の評価や損得を超えた「自分の納得」です。
私自身も、会社員時代に上司の指示どおり動くだけの時期がありました。
しかし独立後、「自分の選択で誰かの笑顔をつくる」と決めた瞬間、
仕事のエネルギーがまったく違うものに変わりました。
やらされ感からの解放とは、決して「好きなことだけをする」ことではありません。
むしろ、どんな仕事の中にも“志”を見つけ出す力のこと。
その力がある人は、どんなに忙しくても、どんなに大変でも、
自分の中に燃える小さな灯を絶やさない。
経営者として、日々さまざまな選択に迫られるとき、
「これは自分が選んだ志事か?」と一度問いかけてみてください。
その問いが、義務の鎖を断ち切り、あなたを自由へ導いてくれるはずです。
“志”がある人はなぜ疲れにくいのか
「忙しいはずなのに、いつも元気ですね」と言われる経営者がいます。
その秘密は、体力ではなく“志”にあります。
志をもって働く人は、目的が明確です。
どんなに長時間働いても、「なぜ自分はこれをしているのか」がわかっている。
だから、同じ労働時間でも「消耗」ではなく「充実」になるのです。
反対に、志が薄れると、少しのトラブルや誤解でも心が重くなります。
“やる気が出ない”“人間関係がしんどい”という症状の多くは、
実は、志という内なるエネルギーの欠乏が原因なのです。
私が講演でよくお話しするのは、**「志は体力より回復力を高める」**ということ。
志をもつ人は、倒れても立ち上がるのが早い。
なぜなら、疲れたときの「戻る場所」があるからです。
それは、会社の理念でも、家族への想いでも、未来へのビジョンでも構いません。
志は、心の中にある「充電ステーション」のようなものです。
外の評価や環境に左右されず、自分の中で再び力を取り戻せる。
そんな経営者こそ、どんな時代にも、組織の灯を消さない存在になれるのです。
《毎日が日曜日》を実現する経営者の思考法
忙しさの中に“ゆとり”を見出すコツ
経営者に「時間が足りない」と感じたことのない人はいないでしょう。
私もかつて、手帳をぎっしり埋め、スケジュールに追われていた時期がありました。
しかし、あるとき気づいたのです。
“ゆとり”とは、予定の空白ではなく、心の在り方なのだと。
「忙しい」とは、“心”を“亡くす”と書きます。
つまり、忙しさとは時間の問題ではなく、心を失っている状態です。
一方で、どんなに予定が詰まっていても、心に“間”を持つ人がいます。
彼らは、話すテンポにも呼吸にもゆとりがある。
その違いを生むのは、「今ここ」に意識を置けているかどうかです。
私が経営者にお伝えしているのは、**「忙しさを消すのではなく、忙しさの中に静けさをつくる」**という考え方です。
例えば、移動中に深呼吸をする、メールを送る前に一拍おく、
社員の話を聴くときはスマホを伏せる──それだけで、心の余白が生まれます。
心に余白が生まれると、物事を俯瞰して見られるようになります。
経営の判断も、コミュニケーションも、結果的に質が上がる。
そして気づけば、「今日もいい一日だった」と思える時間が増えている。
《毎日が日曜日》とは、時間を止めることではなく、
どんな日にも“心の休日”をつくれる生き方のことなのです。
経営の現場で「志事」に変える実践ポイント
「志事に生きる」と聞くと、理想論のように感じる方もいるかもしれません。
しかし、“志”は決して特別なものではありません。
それは、日々の経営の現場の中に、すでに息づいています。
ここで大切なのは、「何をするか」ではなく、**「どう向き合うか」**です。
同じ会議でも、数字を詰める場として捉えるのか、
未来を描く場として臨むのかで、空気は一変します。
私が支援してきたある中小企業の社長は、
毎朝の朝礼で「今日も志事をしよう」と声をかけていました。
社員にとっては最初はピンとこなかった言葉が、
やがて社内に「自分たちは誰のために働くのか」という問いを浸透させていったのです。
志事に変える実践の第一歩は、「意味づけ」を変えることです。
たとえばクレーム対応を“嫌な仕事”と捉えるか、“信頼を取り戻すチャンス”と捉えるか。
掃除を“雑務”と見るか、“感謝を形にする行為”と見るか。
この視点の転換が、経営の現場を生き生きと輝かせます。
志事の経営には、マニュアルも正解もありません。
しかし、自分自身の“志軸”を中心に据えれば、
どんな判断も、どんな一日も、意味ある一歩に変わるのです。
“志事”に生きるリーダーが組織にもたらすもの
志が人を動かす経営の法則
経営は、理念や戦略だけでは動きません。
人を動かすのは、言葉よりも「姿勢」であり、「想い」です。
特に中小企業においては、社長自身の“志”がそのまま社風になります。
社員は、経営者の言葉より「日々の表情と行動」を見ています。
どれだけ立派な方針を掲げても、リーダー自身が疲れた顔をしていれば、
社員もどこかで「自分も無理をして頑張らなきゃ」と思ってしまうものです。
反対に、経営者が志に生きている会社は、空気が軽い。
そこには、「やらされる」ではなく「一緒にやりたい」というエネルギーが流れています。
志は、指示や命令ではなく“共鳴”によって伝わるのです。
私が関わったある製造業の社長は、社員に対して一度も「頑張れ」と言いませんでした。
その代わりに、毎日現場を回りながら「ありがとう」を伝えていた。
その社長の背中が、“志の経営”そのものでした。
結果として、社員は自然に自主的に動き、
社長が指示する前に次の行動を考えるようになっていったのです。
リーダーが“志”をもって働く姿は、言葉を超えた教育です。
経営の法則とは、理論でなく“生き様”に宿る。
志を掲げて働くリーダーこそ、組織の最大の教科書なのです。
楽しく働く経営者が、会社を強くする
「楽しそうに働く経営者ほど、会社が安定している」──これは、私が数多くの経営者と出会ってきた中で感じる共通点です。
経営とは決して楽ではありません。
しかし、経営者自身が“楽しい”と感じている会社は、不思議と人が育ち、業績も安定していくのです。
理由は単純です。
経営者が楽しんでいると、社員も「この会社は未来がある」と感じます。
逆に、トップが常に苦しそうな顔をしていると、どんなに立派なビジョンを掲げても、現場は萎縮してしまう。
会社の“空気”は、経営者の心の温度で決まるのです。
楽しむとは、手を抜くことではなく、“志を込めて没頭する”こと。
自分の理想や夢に向かって、全力で挑んでいる人の姿は、見ている人に勇気を与えます。
そのエネルギーが、組織全体に伝播していく。
私がよく使う言葉に「笑顔は経営資源」というものがあります。
リーダーの笑顔は、数字では測れない組織力そのもの。
どんな経営指標よりも、社員が「うちの社長、いつも楽しそうだ」と感じることが、最大の安心材料になるのです。
経営とは、笑顔の循環を生むこと。
その中心に立つ経営者が、まず“志事”を楽しむこと。
そこから生まれる笑顔が、会社を強くし、社会を明るくしていくのです。
まとめ──経営者が“志事”に生きるということ
“働く”を“生きる”に変える視点
「働く」と「生きる」を分けて考える人が多いですが、経営者にとってその二つは切り離せません。
むしろ、“働くこと”そのものが“生きる”という行為そのものです。
ただし、その「働く」が義務や我慢に支えられていると、人生もどこか重くなります。
けれど、それが“志事”に変わった瞬間、日々の営みが光を帯びはじめます。
朝の出社が楽しみになり、人と関わる時間がありがたくなる。
“生きるための仕事”ではなく、“仕事を通じて生きる”へ。
この視点の転換こそが、経営者にとっての真の豊かさだと、私は考えます。
“志”を軸に働く人は、結果としてブレない。
困難な局面でも、「何のためにやるのか」という原点が、心をまっすぐにしてくれます。
それは、どんな経営理論よりも強く、どんなノウハウよりも確かな支えになります。
「働く」ことを「生きる」に変えるとは、
自分の人生に“志”という羅針盤を持つこと。
その羅針盤がある限り、どんな荒波の中でも、進むべき方向を見失わないのです。
今日の仕事に「意味」と「好奇心」を添えて
「明日から」ではなく、「今日の仕事」から始める──これが“志事”への第一歩です。
経営とは、壮大な理想や戦略を描くことよりも、今日の一歩をどう踏み出すかにかかっています。
どんな小さな仕事にも、意味を見いだすことができます。
書類を整えることにも「感謝の気持ちを形にする」意味があり、
お客様への電話一本にも「信頼を積み重ねる」意味があります。
その小さな意味を意識することで、単なる作業が“志事”に変わるのです。
そしてもうひとつ大切なのが“好奇心”。
「この人はどんな想いで働いているのだろう?」
「この仕組みをもっと良くする方法はないか?」
そんな小さな興味が、次の創造と進化を生み出します。
私自身も、日々の仕事の中に“好奇心の芽”を探しています。
新しい出会い、新しい発見、新しい挑戦。
それらが積み重なって、志事の道がより豊かになっていくのです。
今日の仕事を“義務”ではなく“志”として始める。
その心がけ一つで、あなたの働く時間は、日曜日のように軽やかで温かいものに変わっていくでしょう。