「仕事・死事・志事」―新年度に考える“ほんまの働き方”とは?

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「仕事・死事・志事」―新年度に考える“ほんまの働き方”とは?

2025年4月24日

新年度が始まる今、なぜ「働き方」を見つめ直すべきか?

春に感じる“しごとのはじまり”という空気

4月、新年度が始まりました。街には新しいスーツに身を包んだ新社会人の姿が増え、職場にも新たな顔ぶれが加わる時期です。私にとっても、毎年この季節は特別な感情が湧き上がります。始まりの匂い、風の温度、人の目の輝きが、なにかを「始め直す」きっかけをくれるように思うのです。

こうしたタイミングだからこそ、一度立ち止まって「自分にとっての働き方とは何か?」と問い直す機会にしてはいかがでしょうか。私がSNSに投稿した仕事死事志事という3つの視点は、その問いに対する私なりの答えでもあります。

「仕事」は、誰かに言われてこなすもの。
「死事」は、与えられたことさえ手一杯になってしまう、心がすり減る働き方。
そして「志事」は、自分の意志に基づき、主体的に取り組む生き方です。

この3つの“しごと”の違いを知ることは、今の自分の立ち位置を確認し、これからどう進むかを考える大切なヒントになります。春のはじまりは、ただの季節の変わり目ではなく、自分の“志”を芽吹かせるタイミングでもあるのです。

「仕事」「死事」「志事」って、いったい何やねん?

それぞれの定義と私の体験談

「仕事」「死事」「志事」――一見すると語呂合わせのようにも見えるかもしれませんが、私にとっては長年の社会人生活の中で実感として腑に落ちたしごと”観です。言葉の響きは似ていても、中身はまったく異なるものです。

まず、仕事とは、与えられたタスクを正確に、効率よくこなすこと。上司や組織からの指示に従い、期待される成果を出す。いわば「仕えること」に重きを置いた働き方です。これは社会人としての基礎であり、誰もがまず通る道だと思います。

次に、死事。これは私が冗談まじりに使う言葉ですが、実際は笑えない現実でもあります。タスクが多すぎて心も体も追いつかず、ただ「やらなければならない」ことに押しつぶされる。かつての私も、40代の頃、まさにこの状態に陥ったことがありました。管理職としての責任、家庭との両立、自分への期待…。気づけば、朝起きるのもつらく、休日も頭の中は仕事だらけ。やってもやっても終わらず、まるで“命を削っている”ような感覚でした。

そして志事。これは“志をもってする仕事”のことです。誰かに言われたからではなく、自らが「やりたい」と思うことに取り組む。目的が外からではなく内から湧き出るのです。私が還暦を迎えた頃、ようやくこの「志事」に本格的に向き合えるようになりました。若い頃には見えなかった社会の課題、人生の意味、次世代への思い。それらが、今の私の行動の原動力となっています。

この3つの「しごと」は、人生の中で入れ替わるものでもあります。しかし大切なのは、自分が今どこにいるかを知ること。そして、どこを目指すかを意識することです。

今の時代、多くの人が「死事」に陥ってしまう理由

タスクまみれ社会の落とし穴

現代の働き方を見渡すと、多くの人が知らず知らずのうちに「死事」に足を踏み入れているように感じます。与えられたタスクをただひたすらにこなす毎日。メールの返信に追われ、会議の予定が詰まり、夜遅くまで働いても達成感は薄い。そんな経験に心当たりがある方も多いのではないでしょうか。

では、なぜこれほど多くの人が「死事」に陥ってしまうのでしょうか。

一つは、テクノロジーの進化によって仕事のスピードが格段に上がったことです。スマートフォンやクラウドの普及によって、どこにいても即座に連絡が取れ、対応を求められるようになりました。便利になった反面、「いつでも、どこでも、すぐにやらなければならない」というプレッシャーが常に付きまとうようになったのです。

もう一つは、働き方の“評価基準”が変わらないまま、時代だけが先を行っていることです。量やスピードで測られる成果主義の風潮が根強く残っており、「どれだけやったか」ばかりが問われる現実があります。その結果、自分の中にある本来の価値観ややりがいが置き去りにされてしまうのです。

私自身もそうした経験を重ねてきました。真面目で責任感が強い人ほど、「頼まれたことは全てやり切らなければならない」と自分を追い込んでしまう傾向があります。そして、その姿勢が評価されることで、さらにタスクが積み重なり、悪循環に陥る。これが「死事」の怖さです。

大切なのは、「今、自分は死事になっていないか?」と自問することです。一歩立ち止まり、働き方のバランスを見直すことが、抜け出す第一歩になります。

「志事」へと進化する人の共通点とは?

言われずに動ける人は“軸”がある

志事とは、指示される前に自ら考え、行動する働き方です。言われたことだけをやる「仕事」や、タスクに飲まれてしまう「死事」とは違い、主導権が自分にあります。この「志事」にたどり着ける人には、いくつかの共通点があります。

まず第一に、自分の中に明確なを持っているということです。周囲に流されず、自分なりの「何のために働くのか」という価値観がある。その軸があるからこそ、状況が変わっても、仕事の中に意味を見いだせるのです。

第二に、行動の起点が「受け身」ではなく「主体性」にあることです。指示を待つのではなく、自ら問いを立て、課題を見つけ、解決に向けて動き出す。こうした姿勢は、経験や年齢に関係なく磨くことができます。特に近年は、そうした主体的な人材が評価される時代にシフトしています。

私の知人に、ある地方の中小企業で働く30代の男性がいます。彼は経理担当として採用されましたが、「会社の将来をもっと良くしたい」という想いから、自主的に業務改善の提案を始めました。最初は上司も戸惑っていたようですが、次第にその熱意が周囲を動かし、今では社内の働き方改革チームを牽引する存在となっています。これがまさに「志事」に生きる人の姿だと、私は感じました。

自分の意思で動く人には、自然と人が集まります。そして、志を共有できる仲間と出会うことで、さらに大きな志事へとつながっていくのです。

若い世代に伝えたい。「志事」に生きるヒント

志は、どこから湧いてくるのか

「志事に生きたい」と思いながらも、「自分にはまだ志がない」「何を志したらいいか分からない」という若い方の声をよく耳にします。無理もありません。志というのは、簡単に見つかるものではなく、時間をかけて育てていくものだからです。

では、そのはどこから湧いてくるのか。私は、次の三つのきっかけに注目しています。

一つ目は、「違和感」です。日々の仕事や社会の中で「何かおかしい」と感じる瞬間。それが、あなた自身の価値観を映し出しているのです。過去に私も、非効率な会議の多さや、社員の声が経営に届かない組織文化に強い違和感を覚えました。それが原動力となり、「もっと意味のある働き方を作りたい」と考えるようになりました。

二つ目は、「感動」です。誰かの姿に心を打たれた時、自分の中に新たな動機が生まれます。私の場合、あるNPO法人の活動を知ったことが大きな転機になりました。自分の力を社会の役に立てるという考え方に強く惹かれ、自分も何か行動したいと思ったのです。

三つ目は、「問い」です。自分自身に問いを立てること。「なぜこの仕事をしているのか?」「誰のために働いているのか?」こうした問いを深めていくうちに、志は少しずつ形を帯びてきます。

志とは、才能や特別な使命を持った人だけのものではありません。誰にでも持つことができ、日々の経験の中から自然に育っていくものです。大切なのは、小さな違和感や感動を見逃さず、自分の内側にある声に耳を傾けることです。

“ほんまの働き方”は、自分自身への問いかけから始まる

あなたにとって「しごと」とは?

私たちは日々、何気なく「仕事をしている」と口にしますが、その意味を深く考える機会は案外少ないものです。ですが本来、「働く」とは生き方そのものであり、「しごと」は自分自身の価値観や人生観を映し出す鏡だと、私は思っています。

これまで紹介してきた「仕事」「死事」「志事」という3つの働き方。それぞれに意味があり、どれが絶対に正しいというわけではありません。ただ一つ言えるのは、自分がどの状態にあるかを知り、そこから「どうありたいか」を考えることが、真の意味でのほんまの働き方につながるということです。

私自身、長い社会人生活を通じて、何度も働き方に迷い、悩み、時には立ち止まりました。そのたびに助けになったのは、「私はなぜこの仕事をしているのか?」「本当にやりたいことは何か?」という問いでした。この問いは簡単には答えが出ませんが、問い続けることで道が見えてくると感じています。

新年度という節目は、自分の働き方を見直す絶好の機会です。もし今、「このままでいいのか?」という小さな違和感が心の中にあるなら、それはきっと、自分自身と向き合うチャンスです。

“ほんまの働き方”とは、与えられたものをこなすことではなく、自分が何を志し、どのように生きたいかを見据えた先にあるのです。

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