創業300年を迎える大塚産業。
長い歴史が続いているのには、社長の素晴らしいお考えがあるからこそ。
モノを残すのではなく、ヒトや想いを残す取り組まれている大塚良彦氏のインタビューです。ぜひお読みください。
アンカーにはなりたくない!(=人々の幸せに貢献する!)
わが社はお蔭様で、創業300年を迎えることができました。
母体企業である大塚産業は、富士山が最後に噴火した同時期の宝永3年に産声をあげました。
以来、蚊帳・真綿の製造をかわきりに、繭から作った飛行機の操縦桿や葦の壁紙を製造。
さらには自動車の内装まで展開してきたのです。転進(業態転換)の連続でした。
そのルーツや伝統を知れば知るほど、ずっしりとした重みを感じた頃がありました。
例えれば、リレー競争で大事なバトンを託された瞬間の選手の様な気持ちとでも言ったらいいでしょうか。
経営者・リーダーとして、こころにしみたあの言葉
「アンカーにはなりたくない!」
という想いの下、成果を求めて試行錯誤を繰り返す中で、福沢諭吉の商人訓
「商人は一旦の利に誇ることなく、一旦の損に驚くことなかれ 唯だ恐れ慎むべきは日々月々軽々の損なり 唯だ希い望むべきは連綿不断軽々の利なり」
という言葉にめぐり合いました。
自分が守らなければならないのは、会社の資産や事業ではなく、一緒に働いてくださる社員の方であると気づきました。
そして、会社にとっての利益は手段であり、会社の目的は別にあると悟りました。
車に例えれば、「車とガソリン」の関係が「会社と利益」だったのです。
人生と事業で何がシフト(転換)したか
この300年の歴史から、我々の会社は自分たちで生きてきたのではなく、世間の人々から、「役に立つ」ので生かされてきた存在なのだと知らされました。
即ち、わが社の存在意義は、「人々の幸せに貢献すること」だったのです。
そして、「目先の損得に動くな!」という教えが私の体内に脈々と流れ込んできました。
父は柳生家の家訓「小才は縁に逢って縁に気づかず、中才は縁に逢って縁を活かさず、大才は袖触れ合う他生の縁もこれを活かす」を常に私に語り掛けてくれたのです。
「特定の人とだけつながった商人は没落する。縁を大切にするとは、真に多くの人のお役に立つ姿勢があってこそ生きてくるものだ」
私は、永続するものと途中で終わるものの決定的な違いは、「出来るだけ多くの人々のお役に立っているかどうか」であり、私の役目は、このシンプルな理念のバトンを徹底して愚直に次の世代に引き継ぐことであると気づいたのです。
「永続」—を導くために、 人のお役に立つ ご縁を活かす 目先や特定の人で動かない ことが大切であることを実感する素晴らしいご体験談であった。
※日経新聞の好評連載「200年企業──成長と持続の条件」にも
2008年9月17日大塚産業グループは取りあげられました。
一汁一菜でも生活はできる!
入社当時、私が生まれた時から会社に居られる現重役の方から
「当社には“食事は一汁一菜とすべし”との教えがある」
と言われました。
「それは江戸時代の話でしょ。今は昭和ですよ。一汁三菜でも四菜でもいいじゃない」と、心の中で反論していました。
しかし、その後多くの人々と接し、この言葉の真の意味を知ることになったのです。
経営者・リーダーとして、こころにしみたあの言葉
私は恵まれたことに、若い時から経営者をはじめとする様々な組織のリーダーの方々と触れ合ってきました。
そこで、そのリーダーの方々や組織自体の「栄枯盛衰」というものをいくつも目の当たりにしてきました。
これらから感じたのはリーダーには2つのタイプがあるということ
――驕り(おごり)・高ぶり・ふんぞり返りタイプと、その逆の謙虚・質素・誠実タイプ。
もちろん前者が没落し、後者が継続繁栄しているのは言うまでもないでしょう。
人生・事業で何がシフト(転換)したか
こういったリーダーたちの転落人生に身近に接して、「一汁一菜」とは、江戸時代から言い伝えられている、単に質素倹約の意味だけではなく、もっと深い意味があるのだと悟りました。
“─世の中はいい時もあれば悪い時もある。いい時に一汁三菜の生活をしていて、悪い時に一汁一菜に落としても生活は出来る。しかし、心に“負”の要素を抱え込んでしまい、それが毎日の仕事の成果に悪い影響を与える。”
そのような事例をいくつも目の前で見るうちに、入社当時に教えて頂いた“一汁一菜”の真意を知ったのです。
即ち、万事塞翁が馬で、知足の生活の大切さを説いていたのでした。
そして「驕る平家は久しからず」を真に実感し、 “先生”や“社長”という言葉には魔力があり、自らのことを“社長”と言うことでその魔力に魅入られてしまうことを知りました。
だからこそ、自社に電話をしても、“社長”とは名乗らず、名前を言います。即ち、「社長」はただの役割であり、それに“偉いや偉くない”という評価は存在しないのです。
「驕り」への処方箋
- 栄枯盛衰の人間観察を実施
- 知足の生活への感謝
- 立場は単なる役割という自覚
が大切であることを実感する素晴らしいご体験談であった。
人は死ぬときになにももってはいない
私は、31歳の時に代表取締役専務という役職をいただきました。
当時は、この役職に見合う成果を出し、周りから認められようと必死の毎日でした。
しかし、大した経験も力もない若造に、結果はそう簡単について来る筈もありません。
想いは強くても結果が伴わず、とうとう十二指腸潰瘍になってしまったのです。
今想えばすべて独り相撲で、「結果を出さなければ・・・」という強迫観念や焦りが、自分のこころと体を傷つけていたのでした。
経営者・リーダーとして、こころにしみたあの言葉
病におかされてからも、同じようなパターンで仕事をしていた時、ある言葉と出会いました。
それが、世界を制覇した古代マケドニアの英雄・アレクサンダー大王のエピソードのひとつに出てくる言葉です。
彼の最も有名な「最強の者が帝国を継承せよ」というものではありません。
──私のこころに強く響いたのは、「私が死んだら、(私の)棺の肩の部分をくり貫き、そこから両手を出し、それを自分が統治した全臣民に見せて欲しい」というものでした。
彼は「私は全世界を治めたけれど、死ぬ時は、その手には何ももってはいない(生前の栄耀栄華【えいようえいが】は泡沫であり、モノに拘るな)。」ということを民衆に伝えたかったというのです。
人生と事業で何がシフト(転換)したか
この言葉と出会い、私はモノを得ることばかりに執着していた面のある自分の姿に気付きました。
すべてが解き放たれた瞬間であった様に感じます。
経営者としての自分に大切なのは、会社の名前を残すことでも、ましてや建物や資産を残すことでもない。
極端に言えば、それらは「つぶしてもいい、なくしてもいい!会社が潰れても一緒に働いてくれる社員が居るならば、もう一度会社を作ればいいだけだ。
私が真に得なければならないのは、一緒に働いてくれている社員の気持ちだ!」そう悟った時、予測不可能な先行きへの二択の決断も、その理念に基づけば、ストレスを感じることなくできるようになり、十二指腸潰瘍も治ったのです。
このときを境に事業を継続していくということは、
「会社や技術という“モノ”を引き継ぐのではなく、今まで会社が成り立ってきた“理念”を引き継いでいくことだ」
と、考え方が変わりました。
モノなり何なり、“得よう”“守ろう”とする時こそ人は辛くなり、前に進めなくなることを自分の体験から学んだのでした。
「執着から解き放たれる(肩の力が抜ける)」ために、
- 「○○してはいけない」に囚(とら)われすぎない
- 「○○を守らなければいけない」から離れる
- モノを残すのではなく、ヒトや想いを残す取り組み
が大切であることを実感する素晴らしいご体験談であった。