生きて帰ってこいよ!
人生と事業が大きく動く前の状況
わが社は、祖父が創業した会社です。
その祖父から私は、若かりし日出兵する際の出来事を、幼少の時よりよく聞かされていました。
戦地に今 まさに赴かんとする時、ある恩師から「生きて帰ってこいよ!」と力強く声を掛けられたというのです。
先ず、“お国のために・・・”という当時 では極めて珍しいことでした。
祖父は幼い時から手先が器用で、ものを作ることや機械いじりが好きだった様です。
その素質を先見したのか、恩師は
「日本は資源がない。今後 、日本が繁栄し真に強い国になるには、無から有を生み出す様な技能や人財が絶対に必要だ」
と、祖父の将来を嘱望し、無事の生還を祈念して声を 掛けて下さったというのです。
経営者・リーダーとして、こころにしみたあの言葉
この実話から子供心に、「物づくりで社会に貢献していきたい」という私の原点が生まれたのは間違いありません。
ただ、そんな強い想いをもって入社した会社なだけに、最初の配属が総務(管理)部門であり、色々と違和感を感じることもありました。
物をつくっているわけではない間接部門の実務をして何になるのか。会社にとって、また私にとってもどの様な意味があるのか・・・と本気になりきれない日々が続いたのです。
2代目であった父が、技術を背景にした生産・営業提案の推進をしていただけに、補完機能として、私に今の業務をさせているだけなのか・・・等悶々としていました。
人生・事業で何がシフト(転換)したか
そんな私に、転機はひょんな所からやってきたのです。
より良い人財を集めようと以前より広域に社員の募集をし始めた時のことでした。
初めて、ものづくり大学での合同会社説明会に参加し、学生から見向きもされなかったのです。
そこから、これまでの採用方法や体制を見直し、さまざまな創意工夫が始まりました。
より良い“物”をつくるには何より、より良い“人”が必要なのだと改めて感じ入り、会社の魅力づくりを進めたのです。
そして、「探せばいい人がいるし採用はできる。会社の魅力が高まれば人も育つ」と実感しました。自分の使命の物づくりと、人づくりがまさに重なった瞬間だったのです。
社員こそ、物づくりの大きな礎(いしずえ)であり、財産なのだということに想いを強くしました。
「(間接部門で)人が本気になる瞬間」―を生み出すために、
- 真の目的を実感 生き様と重ね合わせる
- 失敗体験からの創意工夫 が大切である
これらを実感する素晴らしいご体験談であった。
(2019年11月25日リライト)※記事内の役職は当時のものです。