腕組みは、拒否の合図
組織のリーダーの方々との取り組みや組織目標の達成をご支援する活動の中で、日増しに感じることがある。
それは研修や会議の場において、腕組みをしている人が多いという現状だ。
私は旧知の関係先では、腕組みをされた相手はどう感じるでしょうか? ということを率直にお聞きするのでその後は意識され、組まれていた方は一気にされなくなる。
が、新規の関係先や初めて出会う方が多い場面では、顕著にこの傾向が見られるのだ。
心理学的に腕組みは“拒否の合図”とも言われている。
こころを閉ざしている姿の一例かもしれない。
その姿には、脇を固めて人を寄せ付けない印象をもつことが多く、相手や相手の話に対して無意識のうちに否定的な態度を示している、と捉えられても仕方がない側面があるようだ。
こころの腕組みをして素直なこころを忘れていませんか
この、腕を組むといった動作は、当たり前のことであるが目に見える。
しかし、ここで私は目には見えない内なる姿勢に対して問い掛けたい。
それは、我々は“こころの腕組み”をしていないだろうか? というものである。
この様なとき、経営の神様であり人育ての神様である松下幸之助氏が最も大切にした言葉が身に沁(し)みいる。
それは、“素直なこころで”というものだ。
組織のリーダーとしてメンバーがどうのこうのと言う前に、我々自身はどうであるのか。
受け入れない、押し付ける、端(はな)から決め付ける、自分の我やこれまでの体験だけで推し量っている、等といったことはないだろうか。
〝こころの腕組み〟をせず、素直なこころをもって接しているだろうか、という視点である。
そこで私はとらわれのない開かれたこころで、周りやそして何より自分自身と接することを今こそ大切にしたいと感じる。
子供の頃の小さな胸に感じた大きな感動が蘇る
つい先日も、ある行動をする中で関連した気付きがあった。
ややもすると固くなりがちだった私のこころが解き放たれたように想う。
ちょうどこころの腕組みをしている状態とは正反対に近い感覚を味わったのである。
──この秋私は、北海道旭川市から北へ約30km、塩狩峠という地に生まれて初めて立つことができた。
しかも大好きな自転車で。
ここは稚内方面に国道40号で抜ける時に通る、標高263mのどこにでもある小さな峠である。
しかし、私にとって、この峠は小学生の時からの憧れの地であり、人生で必ず訪れたいと強く願っていた場所だったのだ。
源となっているのは、小学3年生の頃に読んだ教科書か副読本に出ていた鉄道事故の話である。
2月の寒い日、乗客を乗せた列車がこの塩狩峠にさしかかろうとしていた時。
最後尾の車両が連結から外れ、急坂の影響で猛スピードで逆走していったのである。
そこにたまたま鉄道事務員、長野政雄氏が乗り合わせていた。
彼は、客車に備え付けられていた凍てつく手ブレーキと必死に格闘し、満身の力を込めそれを引いた。
勾配が緩やかになった箇所では何とか止まりかけたが、次のカーブには急な下りがまた迫っていた。
「ここを逃しては全員助からない! 何とか止まれ! 」でも停車しない。
そこで、自らの身体をレールと客車の間に投げ捨て、客車を止め殉職したという話だった。
(この事実をモチーフにした三浦綾子著/小説「塩狩峠」に詳述あり)
マイナスからプラスに心を働かせる衝撃と感動
この話に、幼き私は小さな胸にも大きな衝撃と感動を得た。それから数十年という月日が経とうと、あの瞬間を今でも忘れることは出来ない。
そしてついに今回私は、小さな頃に抱いた熱い気持ちを胸に、この地に足を運んだ。
到着した時、喜びにこころが解き放たれ、あたかも“こころがバンザイ”をしたかのような感覚を得たのである。
こころが解き放たれたと感じる瞬間は、現在(いま)の自分の大きなパワーとなる。
ともすればワクワクするのではなく、内側へと閉じ、閉塞感を感じる今の時代だからこそ、こころに得た感動を自らの手で蘇らせることが大切だと想うのだ。
今回の塩狩峠への道はそのことを改めてこころに刻んでくれた貴重な体験であったのは間違いがない。
こころのマイナス面(“こころの腕組み”)の解消に終始するだけでなく、こころが打ち震えたあの感動の瞬間(プラス面)からこころを解き放つ元気(“こころがバンザイ”)をさらにもらってもいいのではないだろうか。
あなたご自身は何を感じ、何に取り組んでおられますか?
心を大切にする言葉
- 「腕組みは“拒否の合図”」
- 「素直なこころで」
- 「こころの腕組み(クローズ・閉塞感)を、こころのバンザイ(オープン・解放感)に」
- 「ここを逃しては全員助からない!何とか止 まれ!」
- 「小さな胸に感じた大きな感動」
水野からの問いかけ
- あなたは子供の頃の“小さな胸に感じた、大きな感動”をどの様に蘇らせていますか?
- あなたは“こころの腕組み”をしていると感じる時がありますか? 又、それはどのような時でしょうか?
(2019年12月1日リライト)